見出し画像

明晰夢のレッスン♯1「裸エプロンと硬いパン」

時に、完全な明晰夢に出会ったとしよう。目蓋の奥に見つけるもう一つの宇宙で筆者は、神のごとく自在だろうか。石のごとく孤独だろうか。
(尾戸牧与助『竟に見る夢』/1995.ミラオ社) 

おはようございます。こんばんは。岡本セキユと申します。
劇団くらやみダンスのメンバーです。

パンデミックに襲われて、空前絶後のお籠り生活がはじまった春。ぼくは毎日ひそかに、夢の記録をつけていました。
朝起きて、さっきの夢をさかのぼり、スマホにメモして仕事へ向かう。
一日になんの彩りも与えないモーニングルーティンですが、これが意外におもしろい。

【明晰夢のレッスン】では、そんなメモの断片をもとにストーリーを書き起こした、ぼくの夢日記を連載します。
(ある意味で、究極の自分語り企画。恐縮ですが……)

第一回は四月の夢を日記にしました。
どこまでが「夢の話」でどこからが「夢みたいな話」か。どうぞ、半信半疑で楽しんで。

2020.4.3(Fri)「貯水池」

貯水池の上を飛んでいる。
この時期の池は澄んだエメラルドグリーンをしていて、とてもきれいだ。

後方から会社の先輩が飛んできた。高度を合わせてとなりに付ける。話しかけると、○○のクライアントには先にこういうメールを送っといた方がいいよと、仕事のアドバイスをくれた。
ありがたくはあるが、ぼくは今度のその仕事で失敗するような気がしているので内心気まずい。
話を適当に受け流し、ひとり池のそばに降り立った。

池のまわりは砂丘になっていた。ほとんどまっ白な砂地が、輪っかになって貯水池を守っている。
砂丘には地元の小学生たちがたくさん遠足に訪れていて、あちらこちらでお弁当を食べていた。彼らの広げた小さなビニールシートが、岸辺まで点々と散らばっている。
上から見たらきれいだろうな。そう思ってふたたび空へ飛び上がる。見下ろせば思った通り、太陽がビニールに反射してきらきら光った。安っぽいけど安心する、小学生らしくていい光だなと思った。

それからちょっとして、ぼくがひと通り風景を楽しみ終えたタイミングにちょうど合わせて、この日さいごの風が吹く。
貯水池の上へ上へ、ビニールシートは舞い上がり、カラフルな万国旗になって羽ばたいた。
いちばんいい形で見物できて満足だった。

風がやむと、貯水池は閉鎖の時間になる。
小学生たちはそれぞれ割り当てられたバスに乗り込み、あっという間に帰っていった。
あれだけ賑やかだった風景にはたちまち夕陽がさして、こんどは深いワインレッドの水面を見せる。
さいごのさいごまで、完璧な進行ぶりを見せてくれた。

4.4(sat)「ペットボトル」

昨日の夢はあまりにヴィヴィッドで、夜になってもよく思い出せた。自分の夢が消えずに自分の中にあり続けることに、不思議な多幸感を感じてもいた。
それで、この自粛期間中に夢の記録をつけることにした。いつか脚本とかのネタになるかもしれないし。

思い立っての初夢は、だけどあっけないものだった。
ペットボトルの水を飲む夢。ずっとペットボトルで水を飲んでいた。

喉が渇いていたのか、美味しい水だったのか。いったい自分がどんな感情だったのかはわからない。覚えていない。
ただ、水滴でびちゃびちゃしたペットボトルの感触が、なんとなく記憶に残っている。

4.5(Sun)「ミルク顔とくるみ顔」

ミルク顔という誉め言葉があって、たとえば肌にハリがあってみずみずしいとか、汚れのない純粋な表情だとか、そんなイメージと近いのだと思う。

一方で、くるみ顔というのもある。
こちらは必ずしもいい意味ではないかもしれない。皮脂は硬くて、質感もなんだかごつごつした印象だ。
しかし、かえってそれがいいという人も当然いる。その根強い人気はミルク顔に勝るとも劣らない。

くるみ顔はミルク顔とたしかに似て非なる。しかし、似ていることもまたたしかである。くるみ顔の代表を務める女性はそう語った。

だが、水を差すようではあるが、そもそもミルク顔の良さありきで議論が進んでいることに、違和感を覚えないわけでもなかった。
とはいえ、くるみ顔だってミルク顔の良さは素直に認めており、憧れてもいるわけで、どっちが先とかいっても仕方ないよなと思ったりもした。

4.7(Tue)「ひとみさん」

小学校三~四年生くらいのころ。近所に住んでいた一つ歳上の「ひとみさん」の思い出。

近所の幼なじみの家の前で遊んでいたとき。弟と、幼なじみの弟もいて、四人でドッヂボールをしている。
と、弟が投げたボールが車道に逸れた。タイミングが悪く、それはちょうどとなりの家のおじさんの車を車庫に入れようというときだった。
おじさんは車から出て、強い口調でぼくたちを叱った。ぼくはてっきり弟だけが叱られていると思い、あるいはバツの悪さをごまかすために、その場で弟を茶化した。
ぼくの態度に、おじさんはついに怒声をあげる。
身体が硬直する。そのとき、車の後部座席に人影が見えた。
記憶があるのでもしやと思いよく見ると、案の定、小学校高学年の女の子が乗っていた。
それが、ひとみさんとの初対面だった。

ひとみさんについては、もうひとつ覚えている光景がある。
回想すると、すぐに場面が切り替わった。

車の事件から半年くらいたったころだったと思う。
体育の授業が終わって、グラウンドから教室に戻ろうと階段を上がっていると、踊り場の防火扉が閉められていた。
もちろん火災なんて起きてないからだれかの悪戯だろう。そのときには学年も上がっていたぼくは、やれやれみたいな顔をして防火扉を戻すことにした。
小学生には重い鉄の扉に体重をかけ、ぐぐぐと元の位置に押し戻す。
やがて扉が開き、踊り場の向こう側が広けると……そこにひとみさんは立っていた。

あっ、と気が付く。
が、それよりも早く、ひとみさんはぼくを一瞥し、心底見下した眼で
『なにやってるの?』
とだけ言った。

あ、まずい。ぼくはすぐに察した。要するにひとみさんは、ぼくが悪戯をして防火扉を閉めたと勘違いしたのだ。
違う。これはまじで違う。
慌てて言葉を返そうとしたが、ひとみさんは開けた踊り場を通り抜け、そのまま高学年の教室がある上の階へ行ってしまった。

ぼくはぼーっと、ただ見送ることしかできなかったが、階段を上がるひとみさんの背中が回想シーンのハイライトとしてロングカットで揺れている。
これは夢の特権だろうか。
あたりまえだけど、大人の歳になった今もどこかで、ひとみさんはぼくの一つ上なんだよなと思ったりした。

4.9(Thu)「緊急事態の夜」

劇団のメンバーらと、焼き鳥屋で飲んでいる。
話が盛り上がり、酔った神山さんがふいに立ち上がって大きな声を出したとき、東京都に緊急事態宣言が発令された。

飲み会の自粛が求められたので、仕方なくそのままお開きとなる。ほかのお客さんたちに続いてぞろぞろ店を出た。
駅まで歩きながら、ぼくが冗談めかして「こっそり別のところに飲みに行く?」「こっそり飲みに行く?」となんども言っていると、だんだん場が白けてきた。
恥ずかしくなって、ひとり駆け出して電車に乗った。その夜の電車は特別に、ものすごいスピードで運行していた。

最寄の浦安駅に着く。
改札を出るとちょうど、商店街のひとたちが「緊急事態宣言」と書かれた横断幕を張っているところだった。
殺伐とした都内とは違って、浦安はまだ和やかな雰囲気だ。
「千葉県だからね」と駅員さんが言い、ぼくは納得した。

4.10(Fri)「天道虫のバッヂ」

近所に新しい駄菓子屋ができた。
中を覗いてみると、いかにも、といったノスタルジックな風情でわくわくする。

せっかくだからなにか買って帰ろうと物色する。しかし、ここで違和感があった。
駄菓子屋なのに、駄菓子が置いていない。
これはおかしい。しかし、たしかにここは駄菓子屋なのだ。風情はまちがいなく、正統派の駄菓子屋なのだ。
しかし、商品はない。
商品でぎっしり埋め尽くされたようであるが、そこに手に取る商品はない。

完全な概念としての駄菓子屋があった。
戸惑いながら、店主のおばあさんの方を見る。おばあさんもいなかった。
おばあさんの、風情があった。

こういうパターンもあるのかと、しかたなく店を出ると、ちょうど入れ替わりに小学生くらいの女の子とお母さんの親子連れが店に入ってきた。
「あっ」と声をかけようとするより早く、こちらへ振り返ってお母さんがおしえてくれる。

『あなた、ここではこれですよ』

お母さんは棚からひとつ、品を取って渡してくれた。
見ると、それは小ぶりな天道虫のバッヂだった。赤と黒だけのシンプルなデザインで、ひんやりたしかに金属を感じる。

『こういうのい、いいと思います?』

お母さんはまっすぐぼくに問いかけてきたが、ぼくの期待とは違っていたので、曖昧な返事をして店を出た。

4.12(Sun)「時間と空間と担々麺」

近所の中華料理屋で、担々麺を食べている。
好きなものを食べるとき、楽しまなきゃ!と焦ってしまう癖があって、だけど担々麺でそれをするとむせるのは経験上知っていて、そのため努めて冷静に、ゆっくり味わいながら食べている。

時間がたつにつれ、スープの表面がだんだん固まって薄い膜ができてきた。
レンゲで膜を押し壊し、またゆっくり食べる。
しかし、やがて壊しても壊しても、すぐにまた膜が再生するようになった。
壊して、それからスープを掬って飲もうとする。が、この一秒足らずのあいだに膜は再生し、また壊さなければならない。

理論上、これはもう担々麺を食べられないということでは?

だけど、ごみごみした賑わいが魅力の町の中華屋で、理論とかいうのは野暮だ。店のひとに訴えても、困った顔をされるだけだろう。
仕方ないから何度も壊し、押し壊し、再生しては押し壊し……レンゲを何度も被膜の上でバウンドさせる。そんな作業をこなしながら、最近YouTubeで観た科学のドキュメンタリー番組を思い出す。

アインシュタインの相対性理論の解説の一環で、宇宙では巨大な物質の質量が空間の面をひしゃげさせることがあり、それが光の進路を逸らせるために時間の流れも絶対的ではない……というような話だったと思う。
そのとき示された、質量に押されてひしゃげた空間の面の図が、担々麺の被膜と似ている。被膜はさらに弾力を増し、レンゲを受け止めるトランポリンと化している。

理論上、この時間は永遠なのでは?

そう思わないでもなかったが、町の中華屋において、理論はやはり御法度なのだ。

4.14(Tue)「会見と回転」

家でお酒を飲んでいて、追加の買い出しに出かけることにした。

コロナ禍がはじまる前によく通った店へ。名物の卵サンドをテイクアウトで注文する。
できあがりを待っていると、大将が勝手にウーロンハイを運んできた。
「いやいや、だめですよ」「でも飲んでるじゃん」「家で飲んでるから」「どうせ飲むじゃん」「いや…」「いやいや……」

ぼくはグラスに口をつけていた。
毒食わば皿まで。そのまま二杯三杯四杯と、お金の心配すらできないペースで飲み続ける。
やがて半ば無理やり卵サンドを渡されたので、もう帰れという意味だと思って店を飛び出した。そのまままっすぐ、隣のダイニングバーに駆け込む。
飲み物を頼んでカウンターにかけると、店のテレビで総理大臣の記者会見がはじまった。また、緊急事態宣言が出たのだ。

途端にぼくはむなしくなって、運ばれてきたお酒を一気に飲んでなかったことにしようとした。
トイレに行きたかったが、知らない店で場所がわからない。
焦ってきょろきょろ、探しながら身を乗り出す。すると、かけていた椅子がキュルキュル回るタイプのやつだったらしく、腰を軸にして全身に高速のスピンがかかった。
身体がキュルキュルキュルキュル、何度も何度も回転しながら、床に向かってゆっくり落ちる。視界の端に、総理大臣が国民に向けてメッセージを語っているのが見えた。語る総理も、ぼくの視界でキュルキュル回る。

さいごに、店内でずっと会見を見ていた常連客が倒れていくぼくの方を振り向いて、「自粛しないといけないよ」と諭すように言った。

4.18(Sat)「初競り」

今日は初競りが行われるという。そして、俳優・原田芳雄にとってさいごとなる映画の撮影日でもある。

現場はいたって和やかだ。だけど、この和やかさは、そうあらるべきという暗黙の了解のもとに醸し出された和やかさであり、ごく自然なそれとは似て非なるものだ。
そんなことはもちろん、原田はじめ関係者はみんなわかっている。わかった上でなお、そうあるべきと信じ、互いに和やかさを補強し合っている。
繰り返されるマイクトラブルに、文句を言う者はだれもいない。
見せつけるような初競りの盛況ぶりを、羨む者などひとりもいない。
それぞれがそれぞれの持ち場で、努めてのんびりした時間を過ごし続ける。
買い付け人たちのしわがれた怒声が飛び交う中、大楠道代と松たか子は魚の名前を当てるクイズをしている。
打ち合わせの用のテーブルには突如、活きのいいトラフグが飛び込んでくる。原田は黙ってそれを見ていた。

微細な押しを幾度となく繰り返しながら、作業はじりじりと進んでゆく。そして、いよいよワンカット目の本番。
しかし、そこに原田芳雄はもういない。競りが終わったのだ。市場が締まり、今回の撮影はいったん打ち切りとなる。

『しかたないなあ、もう!』

監督は思わず声を上げたが、すぐに冷静さを取り戻し、その場で佐藤浩市が代役に決まった。

4.20(Mon)「無事故無呼吸」

大型トラックを運転している。
関西から東京まで、長い道のりを夜通し走らなくてはならない。途中、何度か積み荷が崩れて道に散乱したが、そのたびにその町の人たちがわらわらと集まってきて、一緒に拾ってくれた。

長い旅もいよいよ終盤。馴染みのあるサービスエリアに停車し、休憩をとる。
フードコートで食事をしていると、警察官が何人かやって来て「なにしてるの?」と詰め寄られた。
いきなりだったので「なんですか」と聞き返すと、警察官は顔色を変えずにまた「なに飲んでるの?」と問い直す。
そこでようやく気が付いた。ぼくはうっかりビールを飲んでいた。普段車の運転を一切しないので、運転前に飲まないよう気を付けるという発想がそもそもなかった。

その旨言い訳をまくしたてながら、そういうえばそうだ、ぼくは免許をもっていないんだと思い出す。
ここまで走ってきたことが急に怖くなった。どうして一度もおかしいと思わなかったんだろう。ぼくは思わず泣いてしまった。

しかし、だからといって高速道路のど真ん中に荷物を置き捨てて帰るわけにはいかない。その点は警察官たちもよくわかっているようだった。

それからぼくは、しばらくパトカーの車列に周囲を守られながら、ゆっくり安全運転で目的地までトラックを走らせた。
途中で呼気が漏れると飲酒運転になるから、できるだけ息は止めているようにと命じられたが、むしろ緊張感を持って運転できてよかった。

4.23(Thu)「パリの外、プラハの春」

劇団の稽古に向かう。
遅刻したのでみんな怒っていると思ったが、稽古場に入るとそうでもなさそうだ。和気あいあいとした雰囲気であいさつをしてくれて、ほっとする。

しかし、それよりもだ。稽古場が異様に臭い。ヘドロや汚物みたいな悪臭がする。
だれも気にしていないみたいだったが、さすがに耐えられず、「ねえ、これどういうこと!?」と訴える。
すると、出演者の井本みくにちゃんが
『パリの外なんです』
と優しく教えてくれた。

なんとなく言いたいことはわかったが、やっぱり匂いが不愉快だ。
「プラハの春みたいに言うな」と応じたが、それは軽く受け流された。
今振り返ると、別にうまい返しでもなんでもなかったなと思う。

4.26(Sun)「裸エプロンと硬いパン」

スーパーでアルバイトをしている。
バックヤードに野菜を取りに行ったつもりが、気づいたらトイレで用を足していた。目的の野菜はもう手に入らない。理由はわからないが、そう確信した。
戻り辛くてトイレに籠っていると、休憩に入ったベテランパートのおばさんに個室の扉を叩かれた。おばさんは「早くかわって」「だれが入ってるの?」「本当はだれか知ってるんだよ」「みんなのためにも、こういうことはやめて」などと一気にまくしたてる。
ぼくは恥ずかしくて、「いやいや!違うんです!すみません!」と早口で言いながらトイレを出た。
ズボンを穿ききらないまま、ダッシュで売り場に戻る。
エスカレーターを駆けあがって二階へ。ズボンを穿こうとすればするほど着衣はどんどんはだけていって、やがてぼくは全裸になった。
店の制服であるロゴ入りのエプロンで前を覆い、何食わぬ顔でレジ打ちに戻る。お客さんは気づいているのかいないのか、特になにも言われない。だけどやっぱり変な感じだったので、店長にレジを代わってもらって再びバックヤードに引っ込んだ。

事務所の前に、小学校の教室の端にあるような細長い掃除用具ロッカーを見つけた。あそこにいったん身を隠そう。しかし、急いで走れば走るほどスピードは出ない。むしろ歩いた方が速そうなので、競歩のポーズに切り替えた。
あと少しでロッカーにたどり着くというとき、顔ががんもどきに似た先輩と出くわした。この先輩は、ぼくが大学二年生のときバイトしていた早稲田のスーパーに本当にいた人だ。
がんも先輩は廃材の段ボールを潰しながら、店長や常連客の愚痴を語っている。ひと通り語り終えると、また奥から段ボールを持ってきて潰し、潰しながら愚痴を言う。それを聞きながらぼくは、自分が全裸であることを本格的に焦りはじめていた。
もう無理だ。ぼくはバイトを辞める覚悟で店を出た。

近くの公園を歩きながら、都合が悪くなるとすぐ逃げるな俺は、と呟いてみる。自己嫌悪の気持ちはそれほどなかった。そのままでは本当のクズになってしまうよ。ベンチにかけた歯医者の先生が言う。先生は、なんども予約をすっぽかすぼくを探してここまで来ていた。
いつも虫歯を削るところで止めてしまい、きちんと通い続けたためしがない。まるで歯に穴を空けるために歯医者に通っているみたいだ。そして、この話をきみが飲み会の持ちネタにしているのも、自分は知っているんだ……詰め寄る先生を押しのけてその場を去る。先生はもう追って来なかった。

公園を出て、川沿いの遊歩道を進む。
ここはおそらく神田川。大学時代の帰り道だったので馴染みがある。しかし、当時とは微妙に風景が変わっている気もする。
適当な脇道へ入って行くと、ついに知らない場所に出た。
足元には大量の松葉が落ちている。枯れて茶色くなった松葉は、踏むたびバリバリ音を立てた。それが楽しくて一歩一歩、バリバリ踏みしめながら歩く。足の裏の刺激が痛いのと痛気持ちいいのと、ちょうどすれすれのスリルがあって、ここ最近でいちばんくらいに楽しかった。あまりにも愉快なので声を出して笑ってみる。ひょーひょー。喉から空気だけが出る。

『裸なの、まずくない?』

ドキッとして声のした方を振り向くと、立っていたのは大学のときの同級生だった。
同じ学科の彼とは、入学して最初の数か月はよく教室で喋っていたけど、やがてぼくが演劇サークルの活動に没頭するようになって以降もう七年くらい顔を合わせていない。
平静を装って「久しぶりだね」などと返してみたが、彼は相変わらず淡々としている。
『裸エプロンじゃん』
『裸エプロン……?』
その語を聞いて、ぼくははじめて、自分の状態が「裸エプロン」なんだとわかった。
ひとから言われてはじめて、自分の姿は「裸エプロン」として成立してるんだと思えた。
ほっとするぼくに、彼はしかし、いやいや隠れなさいよと強く言う。
『ほら、針葉樹に!針葉樹に!』
ほとんどの葉を落としきり、幹がむき出しでうねるだけの木の陰に彼はぼくを導く。木から木へ、身を潜めながらふたりして、忍者みたいにサササと走って移動した。

行き先はわかっている。しばらく行くと、小さな教会が現れた。
あたりは殺風景で、赤茶けたレンガ風に装飾した壁はその実、ごく最近に建てられたコンクリート製であることが遠目にもわかる。駐車場にはプリウスが並んでいた。
知らない場所だったが、ぼくたちは当然のように中へ進む。玄関の自動ドアを通過すして、すぐに目的を思い出した。

教会の中はパン屋だった。併設されたカフェスペースはたくさんの客で賑わっている。店の奥からは石窯だろうか、香ばしい匂いが漏れてくる。ぼくたちはそれぞれトレーとトングを手に取って、思い思いにパンを選んだ。
ぼくは硬いパンが好きだから、硬いパンのコーナーを物色する。
『明太フランスはどーや?』
『ベーコンエピはどーや?』
『ふつうのフランスパンはどーや?』
ほかのお客さんも寄ってきて、口々に硬いパンを勧めてくる。なかなか決められずに迷っていると、しびれを切らした店員さんが「じゃあ全部硬くしますねー」と作り笑いで言ってくれた。
次の瞬間、壁もソファーもカーテンも、店の中ぜんぶが硬くなり、硬いパンと融合した。もうどれを選んでも同じなので、目の前の棚の一部をむしり取ってレジへ持っていく。
会計を待っているあいだ、一緒にパンを選んでいた彼がいなくなっていることに気が付いた。あたりを見渡すが姿はない。呼びかけようにも、彼の名前が思い出せない。それに今となっては、どの客も店員も、床や机と一体化して硬いパンになっているため見分けはほとんどつかないだろう。
きょろきょろ店内を探していると、会計中の元店員に「裸エプロン!」と呼び戻される。

ここにはもう、「裸エプロン」になったぼくと「硬いパン」しかいなかった。

(『明晰夢のレッスン#2』へ続く)

夢で会った彼らに、渡す言葉は手紙にしよう。手紙は複雑な手順を経て、しかしいずれ確実に配達されるだろう。内なる意識の番外地まで。
(尾戸牧与助『世界は秋』/2002.ミラオ社) 

サポートから、くらやみダンスに任意の額のカンパを送ることができます。 支援していただくことでくらやみダンスの舞台がちょっとずつ豪華になってゆく予定です。 みなさまが演劇を通してワクワクできるような機会を作っていきますので、ご支援をよろしくお願いいたします!