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ものすごい勢いで何もかも忘れてしまう

 エライ勢いで忘れてた、ということがよくある。

 恩人との会食も、楽しみにしていた予定も、完全に忘れていたことがある。財布も定期も身分証も、鍵と名のつくものはなんであれ、どこかに落っことすか忘れた。しかも複数回。学生証と定期は、サッカーチームに配れるくらい再発行した。新卒で入った会社の社員証を一度も落っことさなかったことは幸運という他なく、今でも神に感謝している。

 就活のときは、大学の教室にスーツの上着とベルトを忘れた。自転車に乗って買い物に行ったのに、自転車を忘れて帰ってきたこともある。

 あなたの街の「遺失物センター」が何処にあるのかご存知だろうか。僕は知っている。飯田橋だ。何度も足を運んだから覚えている。駅からの道のりは完全に忘れたけど。

 電車に乗るのが下手だ。特に地下鉄の乗り換えが苦手だ。
 ちゃんと確認したはずなのに気づけば見知らぬ駅にいる。
 降りるべき駅を通り過ぎているのだ。しかも、何度も。

 原因はわかっている。
 とにかく、気が散る。
 あと記憶力がない。特に短期のやつ。

 買い物をして自転車を忘れた時の脳内をあえて書き出してみる。

 スーパーに着いた時点で、頭の中は買い物のことでいっぱいだ。実は買い物も下手なのだ。スマホのメモ帳に書いてあるものを買い物カゴに入れる、それだけのことなのによく失敗する。
 面白そうで美味しそうなものがあるとつい買ってしまう。そのまま夕飯のレシピを思いついて、別の調味料もカゴに入れる。この時点で、もともと買いに来たものは何なのか忘れている。運良く「スマホのメモを見る」ことを思い出せればいいのだが、その場でメモを確認しても、目的の売り場に着く頃には他に目移りしている。

 気が散るというか、気になることがあるとそれに集中してしまうし、集中した後には前後の記憶がきれいさっぱり抜け落ちているのだ。巷でよく聞く「何か忘れてるような……」という感覚すらない。荒涼とした焼け野原ってのはきっとこんな景色なんだと思う。

 買い物メモも、「コレがない!」と思った瞬間に書き留めないと絶対に忘れる。シャンプーがないことに気付いたら、「シャンプーがない」と口の中で唱えながら風呂から出なければ永遠に詰め替えが手に入らない。改めて考えれば、買い物は僕にとって重労働だ。主に、頭の。

 そういった感じで、卵を見に来たはずなのにパン売り場にいるような目移りと注意の散漫を繰り返し、レジで精算を終えて帰路に着く。

 もちろん、自転車でここに来たことは綺麗さっぱり忘れていた。

 ここまでの文章、実は意識して「推敲ナシ」で一気に書いたので、たぶんあなたも自転車のことはすっかり忘れてくれたと思う。

 頭の中は本当にこんな感じなのだ。

 これは高校時代の夏休みの話なので、始業式の日に自転車がないことに気付き、盗まれたのかと思いながらテクテク歩いて学校に行った。

 高校の夏以降、僕は自転車について「ない! 盗まれた?」と思った時は、まず第一に自分の置き忘れを疑う。悲しいことに、的中率は十割だ。まず間違いなくどこかに置き忘れている。

 僕の見つけた解決策はひとつだけ。
 自分の記憶を一切信用しないこと。

 覚えておきたいことはメモる。簡単なことも、メモを出すのが難しくても、さすがにこれは忘れないだろうってなことも、ぜんぶだ。

 時間制限のある家事(ゴミ出しや洗濯)それから人と会う予定、オンライン会議などは、やると決まった時点でアラームをセットする。でないと絶対に忘れる。ちなみに今日、僕は通院の予約を忘れた。来週以降忘れないように、いまアラームをセットした。

 このように足掻いたところで、僕の記憶にはボコボコ穴があいていく。あいていくモンはしょうがないので、覚えているうちに書き留めてしまうのが吉なのだ。

 ただ厄介なのは、このスピードでモノを忘れていくことを信じてもらえない状況に遭遇する場合があるってことだ。

 新卒で入った会社で、プログラマーとして現場配属された時がいちばんやばくて、最初の3ヶ月はどこの誰よりもポンコツだった自覚がある。

 記憶も抜けるし、指示語もわからない。「"あそこの"書類」「"昨日の"テスト」がどれを指しているのかわからない。書類もテストも山ほどあるじゃねえか。人の顔と名前もぜんぜん覚えられない。新しいことに触れると脳がビックリして、記憶力が普段の倍増しでゴミになるので、毎日狂ったようにメモをとっていた。そのうち、「メモを取りすぎ」という謎案件で怒られるはめになった。

 僕の指導にあたった先輩の「そんなに書いてるのに、忘れるなんてありえない」「一度、聞くのに集中してみたら忘れないのでは?」「メモを取ることに集中しすぎて忘れてるのかもよ」という指摘は、悲しいことにすべて的外れだった。書かせてくれないとこれ以上のペースで忘れ続けることを、先輩は知らないのだ。
 ちなみに配属2ヶ月目くらいで「メモを取らせてくれ」とお願いをしたが、相手は「信じられない」みたいな顔で信じられない的なことを言っていた。信じなくていいからメモはとらせてくれ、あなたの仕事をこれ以上増やしたくないんだ。

 聞くのに集中したところで記憶には定着しない。少なくとも僕は。耳から受け取る情報にめっぽう弱い。弱いというのは、記憶にとどめておけないということだ。逆に文字情報とは相性がいいようで、自分の手で書いて記録したことはよく覚えている。指示やマニュアルも文章になっているとすんなり頭に入ってくる。

 よくある「有益な記事」ならここで「上司が気を付けるべき部下への"教え方"10パターン」とか「短期記憶が苦手な人でも仕事ができる5つの方法」をまとめるんだろうけど、この記事はひたすら「忘れ続けていく人間」について書いているので、そんな有益なマネはしない。

 ただ、自分の理解されづらい部分に寄り添ってもらえると嬉しい、そういう気持ちを、僕は知っている。

 新卒で配属された現場を無事に勤め上げて、次に向かった新しい現場で、彼は右隣に座っていた。

 「俺も書かないと忘れちゃうの」

 えんぴつの走り書きで埋め尽くされたノートを開いて、先輩は笑った。彼はなんというか、おとなになった柴犬とゴールデンレトリーバーを足して二で割った感じといえば伝わるだろうか。味で言うなら砂糖醤油だ。柔和というか、いい意味でまったりしている。僕より10歳年上で、それでも僕の次に若い人材だった。

 僕たちはふたりでよくメモをとった。彼が現場のリーダーに「メモとらないで、まず聞いて」と言われているのを聞いた日は、こっそり「メモとらせてほしいですよね」と自分から愚痴を吐きに行った。左隣の後輩からいきなり愚痴吐きをかまされても「そうだよね~」と笑ってくれる先輩だった。

 彼はたぶん、僕に何かしたとは思っていない。せいぜい「苦手を共有した」くらいだとおもう。でも僕にとってそれは「君は間違ってないよ」と言われたのと同じくらいうれしいことだった。

 書かないとわすれちゃうひとが、自分以外にもいる。
 それを知って安心することは、別に逃げでもなんでもない、とても大事なことだと思う。

 そうでないと常日頃から「自分はできそこないだ」みたいな悲しい気持ちにいじめられたり、必要以上に委縮して実力が発揮できない、つらい状況が生み出されてしまいがちだ。良いことひとつもない。そもそも、ひとりの人間が委縮してのびのび動けないって、それ世界の損失じゃないですか。ねえ。

 だから僕は、特になにをしたいとかそういう意図もなく、ただ、忘れちゃう人の話をする。

 めっちゃ忘れる。明日も忘れると思う。それでも、あなたは出来損ないじゃないし。忘れたくないことを覚えておける方法も、きっとある。絵だったり字だったり、写真だったりするかもしれないけど、自分にあう「記録マシーン」が見つかったらいいよね。
 自分の記憶が信用できなくて、書かないと忘れちゃうというのは、そりゃあ情けない。迷惑かけりゃあ胃が焼けるし、怒られて、自分がポンコツみたいに思える日もある。

 でも、ほら、忘れちゃうのってひとりじゃないから。
 僕も横で並んでメモとってるので、気負わずぼちぼちいきましょう。

 

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