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でもね、すべてはわたし次第よ

眠れずに明かしたある朝、時間を持て余しNetflixを開いた。

2017年に公開され、日本でも話題となったタイ映画『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』を観ることに。

リンは、小学生の頃から頭脳明晰な天才少女。特待奨学生として転入した有名私立学校で、女優を目指す天真爛漫なグレースと出会う。

リン先生と彼女を慕うグレースに、リンは試験中ある方法で解答を教える。

リンは一人で自分を育てる教師の父親の負担だけを考える優しい子だった。グレースに解答を教えたのも最初は、友情からの行為であったはず。

しかし、学校は寄付という名のワイロを受け取っていることを知り、裕福な家庭の親や子は物事を全て金で解決しようとする姿を見る。

挙げ句の果てには良い成績を得るため、リンと同じく優秀なバンクにひどい仕打ちを行ったうえに、自分さえ良ければあとはどうでもいいという態度なのである。

そんな中にあってリンは自分の能力である学力を使いお金を稼ぎ、その事で常に悩み続けるが、咎められる事はなかなか受け入れられずにいる。

金銭で利益を得ることが正義ならば、学力で利益を得ることだって許されるはずというわけだ。

つまり、タイの現状に対して逆説的に、ズルした者が富を得ることが当たり前の正義のような社会はおかしいだろうと突きつけている。

この作品にはお金持ちの子か高い学力を持つ子しか出てこない。

作品に登場しない金も学力もないが誠実な市井の人々。経済的、教育的格差が広がるタイで、スラムに暮らす子供たち。

そんな人々の思いを代弁するような作品。

凝ったストーリー構成、わざとずらされている時間軸、工夫の凝らされたショットも良い。

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