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50歳、散らばって見えた点が一本の線になった。京都のコーヒー会社で始める未来への挑戦

Kurasuではさまざまなバックグラウンドを持つメンバーが活躍しています。ある日カフェで飲んだ1杯のエスプレッソに衝撃を受け、30代中盤で異業種からコーヒー業界に飛び込み、バリスタ、そしてロースターとしてキャリアを築いてきたKamadaもその一人。

2024年4月に50歳でKurasuに入社し、コーヒー部門全体のマネジメントを手掛ける彼に、これまでの経験とKurasuに入った決め手、現在の仕事とビジョンについて聞きました。


浮世絵ギャラリーの運営、Appleの営業職、そしてコーヒーの世界へ

——Kamadaさんの学生時代と最初の仕事について聞かせてください。

私は秋田県秋田市で生まれ育ち、大学進学を機に上京しました。大学では文学部英米文学科で、アフリカ系アメリカ人の女性作家トニ・モリスンの作品を研究しました。音楽にも興味があり、とくにヒップホップやソウルミュージックが好きで、自分でもピアノを弾いたり、クラリネットを吹いたりしていました。

アフリカ系アメリカ人を取り巻くさまざまな社会問題が存在しますが、彼/彼女らはそれを上回るエネルギーを持っています。マイノリティであることに屈しないカルチャーは一体どこから生まれるんだろうという強い興味から、その文学や音楽に夢中になったんです。大学卒業後もその関心は尽きず、アメリカ・カリフォルニアの大学に留学し、社会学のアプローチでアフリカ系アメリカ人の文化について学びました。

帰国直後は、知人が営んでいた東京・南青山の小さな浮世絵ギャラリーで、アルバイトのような感じで店舗運営を手伝っていました。スモールビジネスって面白いなと思うようになったのはその頃からです。

本格的なキャリアとして初めて選んだのは、Apple社の営業職でした。ビジネスをする上で自分に足りないのは営業力だと考えて、「営業は向いていない」と思いつつ、修行をする気持ちで選んだ仕事です。当時はiPodの初代モデルが発売されたばかりで、日本にはまだApple Storeがなかった時代。私は都内の家電量販店にあるAppleコーナーを回り、現場営業として濃い1年を過ごしました。

ハードワークでしたが、スティーブ・ジョブズの考え方やAppleの理念には共感できたし、そうした企業の内側に入って、ブランドとして何を大切にしているのかが見えた気がします。当時のAppleジャパンの社長は徹底した現場主義で、一介の営業である私たちの意見も重視してくれていました。現場を経営に活かすことの大切さは、そこで学んだことの一つです。

——その後、どのような経緯でコーヒーの世界に関わるようになったのですか。

私は子どもの頃からコーヒーが好きでした。最初の記憶として残っている飲み物は、甘いコーヒー牛乳なんです。小学生のときから親にドリップコーヒーを淹れてあげるほど身近な存在で、自分自身も好きでずっと飲んでいたので、コーヒーの仕事をしたいと考えるようになりました。

当時は90年代半ば、アメリカからスターバックスが日本に上陸し、コーヒーカルチャーが存在感を増していった時代です。カフェブームが起こって、多くの人がカフェに足を運びました。

その頃私が住んでいた東京都世田谷区に、ロングライフデザインをテーマとするストアD&DEPARTMENTがあって、そのダイニングでカフェスタッフを募集していたんです。飲食店は未経験でしたが採用してもらい、メニュー開発から接客、お店作りまで、一通りの仕事を経験させてもらいました。

一緒に働いていた仲間もパッションのある人ばかりで、膝をつき合わせて「いいお店って何だろう」「どうしたらいいお店が作れるんだろう」と、毎日考えていましたね。休日にも、自然といろいろなカフェに足を運んでいました。

その中で、私がもっとも影響を受けたのが、栃木県の黒磯にある「1988 CAFE SHOZOです。雰囲気がよくて、不思議な魅力があって……。東京から黒磯までは車で片道4時間ほどかかりますが、休みのたびに足を運んでいました。純粋にそのカフェでコーヒーを飲みたい気持ちもありましたが、それ以上に「なぜ、これほどこのお店に魅力を感じるのだろう」という疑問の答えを見つけたかったんです。

「これがこのお店の秘密なんじゃないかな」と思い当たるものをいくつか見つけましたが、そのひとつが、クリンネスを大事にしていること。言い換えると、見えないところにいかに気を配れるか、です。たとえば、一番隠れているはずのトイレが常にきれいなら、すべてが行き届いているといっても過言ではありません。

「神は細部に宿る」という言葉があるように、自然と表に魅力がにじみ出るのは細かい部分まで哲学が浸透しているから。言葉にしなくても、そこに潜んでいる工夫や面白さが伝わって、人の心を動かすのでしょう。それはどんな仕事にも通じると思います。

5年間焼酎を造った後、バリスタを経てロースターへ

——そこからKamadaさんのコーヒーキャリアが始まっていくのですね?

いえ、実はそうではないんです。30代の初めに結婚をしたのですが、出産後、妻が体調を崩してしまい、家族で東京を離れて彼女の実家がある宮崎県に移住することになりました。

彼女の実家は、焼酎の造り酒屋です。それほど大きな蔵ではなかったものの、焼酎の産地である宮崎県での品評会でも1位に選ばれるほど、しっかりとしたものづくりをしています。
私はお酒に関する知識や経験はなかったものの、ものづくりの楽しさを知る機会だと捉え、覚悟を決めて造り酒屋の工房に飛び込みました。

結果的にそこで5年間働いたのですが、その期間に職人としてのパーソナリティが少しずつ形成され、振りかえると、それがロースティングへの興味に繋がったのかもしれません。

仕事では焼酎に携わっていましたが、やはりコーヒーは好きで、休みの日はコーヒー屋さんめぐりをしていました。その頃、たまたま見かけた雑誌『BRUTUS』のコーヒー特集記事で、バリスタの日本一を決める「ジャパン・バリスタチャンピオンシップ」で二度の優勝を経験した竹元俊一さんという方が、鹿児島県霧島市のお店にいることを知りました。

ヴォアラ珈琲という名前のそのお店は、家から車で40分の距離でした。竹元さんが淹れたエスプレッソを飲んだときの衝撃は今でも忘れられません。東京でも大阪でも京都でもなく、日本の地方都市で生まれ育った人が自分の街で世界基準のコーヒーを出そうという意志を持ち、実際にそれを成し遂げている。なんてかっこいいんだろうと思いました。当時はアメリカでも、ポートランドやブルックリンなどのコンパクトシティや郊外エリアで面白い動きがあったのですが、日本でもまさにそういう動きが出てきているんだと思うと、わくわくしましたね。

「この人はどういったことを考えて仕事をしているのか」と興味を持ち、毎週の休みに客としてヴォアラ珈琲へ通い、竹元さんやオーナーの井ノ上さんと少しずつ話をするようになりました。1年ほど経ったころに「うちで働いてみる?」と誘われ、思い切ってヴォアラ珈琲に転職しました。そのとき私は30代中盤。そこから私のコーヒーキャリアが始まったのです。

——ヴォアラ珈琲ではどのような業務をなさっていたのですか。

ヴォアラ珈琲ではバリスタ業務に携わっていました。当時、お店には竹元さんのほかに、2011年のジャパン・バリスタチャンピオンシップで3位になった中摩麗(なかま・うらら)さんもいました。鹿児島という地方都市ならではのゆったりした雰囲気もありつつ、コーヒーに対しては常に世界基準を見据えた緊張感があるお店で、コーヒーの基本からバリスタとしてのスキルを磨くのにはうってつけの環境でした。

コーヒーの仕事をする上でカッピングのスキルはすべての基本となります。これは、バリスタを極めるとしても、ロースターのほうにいくとしても変わりません。私は毎朝1時間早起きをしてコーヒーカッピングをし、スコアシートに記入していました。めちゃくちゃ楽しくて、早起きはちっとも苦になりませんでしたね。そのときの経験が私のベースになっていると思います。

——その後のKamadaさんのコーヒーキャリアについて教えてください

ヴォアラ珈琲では2010年から2013年にかけての3年半働きました。バリスタを続けるうちに自分のコーヒーショップを開きたいという夢を持つようになり、それを出身地の秋田市にあるデザイン会社の経営者に話したところ、ちょうどその方は飲食事業を立ち上げていて、「それなら一緒にやりませんか」と誘ってくれたのです。

その方のイタリアンレストランはディナータイムのみの営業だったので、朝から夕方までの間カウンターを使わせてもらうことにして、コーヒースタンドを開業しました。お店の名前は「カメレオンコーヒー」です。1年間ほぼワンオペで運営でき、安定した売り上げを立てられるようになったので、もう少し大きな場所に移りました。

Kamadaの立ち上げたコーヒースタンドで初めてカッピングイベントが開催されたときの様子。秋田だけでなく、国内各所から多くの人が集まった(出典:Instagram

そのときにオーストラリア・シドニー発のSingle O(シングル オー)というスペシャルティーコーヒーロースターが日本で事業展開を始め、卸先を探しているという連絡をもらいました。飲んでみて、それまでの西海岸・日本とは違う個性があり、バリスタが遊べるような安定したクオリティのコーヒーだと感じたので、取り扱いを始めたんです。

それがきっかけで、東京に行くときにはSingle Oの焙煎所を訪ね、ロースタリーオーナーの山本 酉(やまもと・ゆう)さんと話をするようになりました。あるとき、山本さんから「焙煎する人を探している」と聞き、ロースティングに興味を持っていた私は「カメレオンコーヒーを別の人に引き継いで、ロースティングをやってみたい!」と思ったんです。

せっかく立ち上げた夢のお店を人に手渡してSingle Oに移るなんて、フットワークが軽すぎますよね(笑)。迷いがなかったわけではありませんが、焙煎機は高価で、焙煎所を自力で始めるのはかなりの資本が必要ですから、「これはチャンスだ!」と思ったんです。

——お店を手放すのは大きな決断だったと思いますが、そのタイミングでバリスタからロースターへと転向されたのですね。

はい。良くも悪くも、私は興味を持ったら行動してしまう性格なんですよ(笑)

Single Oでは、2017年4月から2023年2月までの約6年間、ロースターとして働きました。代表の山本酉さんから焙煎を引き継いだ後は、シドニーHQでの焙煎研修やアメリカSCAのロースターズギルドの焙煎合宿に参加しながら、日々の焙煎業務で経験を積みました。当初日本支社は代表夫婦に私が加わっただけの小さなチームだったのですが、焙煎所の一角でスタートしたテイスティングバーの立上げやSNS運営、大小様々なプロジェクトを本国チームと連携して形にしていったのはとても貴重な経験でした。

アメリカSCA ロースターズギルドにて

年を追うごとに少しずつメンバーが増えていき、卸売販売の利益も拡大していったので、2020年に焙煎、商品の袋詰め、発送、品質管理などを行うプロダクションチームを発足。私はヘッドロースターでありながらプロダクションチームをまとめる立場になりました。

そんなSingle Oでの仕事は楽しくてやりがいがあったのですが、2023年、新しい環境で冒険してみたいという気持ちになり、オファーを受けたこともあってOverview Coffee(オーバービューコーヒー )」というスペシャルティコーヒーロースターに移りました。
Single OではProbat(プロバット)の半熱風式焙煎機を使っていましたが、Overview Coffeeでは新世代の焙煎機といわれるLoring Smart Roast(ローリングスマートロースト)の完全熱風式焙煎機を導入しており、その焙煎機を扱えるのが魅力的でした。

KurasuでもLoring Smart Roastを導入しています

さらにOverview Coffeeは、人間と動物がともに歩み地球環境を健全な状態に回復させるための規準である「リジェネラティブ・オーガニック認証」を取得したコーヒー豆を扱っています。今後コーヒーに携わっていく上で、サステナビリティだけでは不十分、より進んだアクションをしないといけないという考えを持っており、そこにも共感しました。

新しいことへの挑戦を受け入れてくれるKurasuにジョイン

——KamadaさんとKurasuとは、どのような出会いだったのでしょうか。

Kurasuとの出会いは、2017年5月、私がSingle Oに入ったばかりのころに遡ります。Single Oの豆をKurasu Kyotoのエスプレッソで使ってもらっていた関係で、東京のコーヒーフェスティバルに出店したときにKurasuのAyakaさんがブースに手伝いに来て、一緒にコーヒーを淹れてくれました。Kurasuもまだできたばかりの頃でしたね。

Akayaさんはフレンドリーで明るく、コーヒーに対する情熱があり、とても印象的でした。それで、自然とAyakaさんのキャラクター=Kurasuというイメージが自分の中にできた気がします。

2023年、息子が京都市の大学へ進学するのを機に、それまで東京と宮崎で離れて暮らしていた家族が再び一緒に生活しようということに。京都で何をしていくのかを決められないまま、Overview Coffeeでの仕事の引き継ぎを終え、京都で家も見つけました。

「もう、京都で自分のロースタリーを立ち上げるしかないかな」という考えも脳裏をよぎりましたが、そのとき「京都といえば、KurasuのAyakaさんがいる!」と思い出して、連絡を取ってみたんです。そして、Ayakaさん、Yozoさんと話す機会をいただきました。

——Kurasuにジョインすることになった決め手を聞かせてください。

数年ぶりにAyakaさん、Yozoさんとお会いしたときは、京都のコーヒー事情を教えてもらうつもりだったのですが、自分の経緯と考えを話したところ、「実はKurasuでコーヒー部門全体のマネジメントをしてくれる人を探しているのですが、興味はありますか?」と。

出会った当時は立ち上がったばかりだったKurasuが、すばらしい会社に育っていて驚きました。Yozoさんから「これからKurasuはより積極的な海外展開をし、コーヒー業界だけに留まらず、自然環境をも含めて世界的なインパクトを与えられる企業になりたい」というビジョンを聞かせてもらい、可能性を感じました。

コーヒービジネスにおいて、大きなチームでしかできないことがあります。もちろんスモールビジネスの良さもありますが、これまでのチームでの経験を経て、その面白さを知っていたので、Kurasuにジョインするのは自分にとってチャンスだと思いました。

自分はずっとプレーヤーで、プロダクションマネジメントの経験があるとはいえ、これほど広い領域のマネジメントはしたことがありません。それでも、「新しいことに挑戦したい」と思ったし、それを受け入れてくれるカルチャーがKurasuにはあると感じたのが、入社の決め手となりました。

経営と現場を結びつけ、一緒に走れる仕組みをつくっていく

——現在、Kurasuでどのような業務を担当していますか。

Kurasuのコーヒー部門全体のマネジメントが私の役割で、現在はカフェとロースティングチームがどのように動いているかを見て、課題の洗い出しをしています。

たとえば、カフェであれば、店頭に立って現場の流れを見ながら、今後海外展開する店舗のモデルになるようなオペレーションを設計したり、カルチャーのもとになるプロトタイプを作ったり……。これまで培われてきたKurasuのカルチャーを継承して、海外展開を含めた新しいKurasuを体現するチームづくりに取り組んでいます。

現在は、会社がスケールアップし、いろいろなチームが集まってきているフェーズなので、ともすれば現場のズレが大きくなりかねません。そうならないよう、CFOのMasaさんともディスカッションし、会社としてのビジョンと現場を結びつけ、みんなが一緒に走れる仕組みをつくっているところです。

現場は日々本当に頑張ってくれています。そんな中で、いかにパフォーマンスを上げる土壌を作るか、自由で柔軟な働き方を実現する道筋を作っていくかを考えるのが経営サイドの役割です。

私のこれまでのキャリアは、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、バラバラの点だったかもしれません。しかし、Kurasuに入ってようやく点と点がつながって1本の線になった感覚があります。この場所で、知見を集約し、未来に向けてアップデートさせていきたいですね。

——コーヒー業界において、今後どのような役割を果たしたいと考えていますか。

コーヒー業界では、地球温暖化、生産国の消費量の変化、国と国の関係などにより、2050年までにコーヒーの需要と供給のバランスが完全に崩れてしまうと予測されています。

生産国とともにより良い未来を創っていくには、Kurasuがイニシアチブを取り、コーヒー業界だけでなく社会全体を変えていくという意志を持って動くことが大事です。とはいえ、私たちだけでは社会を変えるムーブメントは起こせません。これまで以上に横のつながりが求められるし、いろいろな人たちを巻き込み、リアルな形で変化を生活に落とし込んでいくことが必要だと思います。
たとえば、Kurasuのお客さんとして1杯のコーヒーを飲むことで、誰もがそのムーブメントに参加できる。それも一つの選択肢になるのではないでしょうか。

——Kamadaさん、ありがとうございました。最後に、今お気に入りのコーヒーを教えてください!

ロースター出身の私の目から見ても、Kurasuには、バランスがよく、おいしいコーヒーが揃っています。個人的に気に入っているのは、クオリティが高く、アシディティ(酸味)のあるルワンダ ルリ ハニー(Ruli Honey)。コーヒーチェリーの果肉だけを取り除き、粘液質を残したまま乾燥させる「ハニープロセス」を採用しており、甘い香りと焼きリンゴのような味わい、黒糖のような甘い余韻が楽しめます。アイスで飲むのもおいしいですよ。

Kurasuのコーヒーセレクションは豊富で、選ぶ楽しさがあります。店頭でどれにしようか迷ったら、ぜひバリスタに好みを伝えておすすめを聞いてみてください!そこから生まれる会話も含めて、Kurasuでのコーヒー体験を楽しんでもらえたらすごく嬉しいです。

Kurasuでは、一緒に働く仲間を募集しています!

Kurasuでは現在、事業拡大にともない採用活動を強化しています。私たちのビジョンに共感してくださる方、より良いコーヒーの未来を共につくってくださる方を募集中です。まずはカジュアルにお話しましょう。Wantedlyからお気軽にご応募ください!