糸賀一雄氏について

福祉の勉強をしていると、それを実践する人にはその人自身が身をもって経験したことを通じて、それに辿り着いた人がとても多い。

ひと昔前だと、石井十次、石井亮一、片山潜、留岡幸助、高木憲次、高瀬真卿、野口幽香、佐野常民などなど。

それぞれが、それぞれ自身の生い立ちや生育歴、個人的な信念や考えから、実践家として活躍している方が非常に多い。

一方で、糸賀一雄氏については、個人的に謎が多い。なぜ、「この子らを世の光に」という考えに行きついたのか。なぜ、近江学園なのか、なぜ、びわこ学園なのか。

その功績はたたえられ、「社会福祉の父」といわれている。だけど、糸賀一雄氏の「背景」が見えない。エピソードが見当たらない。母子家庭だったこと、小学校の教員だったこと、その中で、糸賀氏の中に何か芽生えるものがあったのだろうか。

なぜ、その「信念」に疑問を持ったのか、の理由の一つに、10代の少女に対し、強制不妊手術に関与した記録が残っていることが挙げられるが、それだけではない。

当方の勉強不足と言えど、これほどの功績がありながら、自身の福祉に対する情熱やエピソードがなかなか見つからない。

ただ単に「語らない」人物だったのか。京都大学哲学科を卒業していて、卒業後の働きぶりも大変良かったとのうわさもあるのだが、肝心の糸賀氏本人の考えがわからない。頭が良すぎて、考えを言葉にしない昭和初期特有の人物だったのか。はて。

福祉関係の人物の中で、あくまで個人的にだが、謎に包まれた人物であると感じている。


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