見出し画像

いまを豊かに生きるために 取り入れるもの、譲れないもの

昨年の12月、こんなコラムを書きました。

スケジュール帳を選ぶのに変なこだわりがあって…というお話。この時は「なんとなく手で書くことで頭に入るような気がして」手書きの手帳を愛用している、と書いていたのですが、わたくしこのたび、手帳を買うのをやめることにしました。

このコラムで書いた「悩んだ末に選んだ」というスケジュール帳を、結局スケジュール帳として使うことがほとんどありませんでした。ライターとして取材をする際のメモ帳としてしか機能せず、カレンダー部分は、子どもたちが引っ越して、学校などの予定を書くことがなくなった4月以降はほぼ真っ白。もはや手帳は「何かを挟んでおく物体」と化していたのです。

普段の予定はスマホのリマインダー機能を使っていたのですが、案外これで事足りてしまうことに気づき、そろそろ来年の手帳を探さないと…という時期になって、ふと「スケジュールとして使わないなら、ただの白い紙でもいいじゃん」ということに思い至ったのでした。

普段iPadを持ち歩いているので、アプリでスケジュール管理をしてみよう、ということに。とはいえやっぱり「手で書く」ことで思考が整理される脳みそはそう簡単に順応してくれない。そこで、タブレット用のタッチペンを購入し、1か月ごとのカレンダーをダウンロードして、そこにタッチペンで予定を書き入れるようにしました。これならデジタルであると同時にアナログ。ペンで落書きしたり(1月は鏡餅の絵、みたいな…)、普通の手帳のように使えそうで、ほくほくしています。

うまくいくといいのだけど。


思えば活動を始めたころは(古い話ですが‥約14年前)今のように「クラウド」という概念も浸透しておらず、データはハードディスクの中にしまっておくものでした。それが、数年前「DROPBOX」を導入したことで、格段に活動が進化したように思います。クラウドを使うことで身軽になり、重さを気にせず画像やファイルをどんどん保存しておけるようになったことで、動画なども早く、かつ気軽に作れるようになりました。

また、メールやチャットでスタッフ間の仕事のやり取りをしていたころは、「あれ、あのことはいつのメールに書いてたっけ」とか「あれはメールで言ったことだったかLINEで話したことだったか…」と、スマホをぎゅんぎゅん遡ることになり、画面に酔って気持ち悪くなる…ということもしばしばでした。

集中して考えたいときなど、それがかなりのストレスで、思考がスムーズに通らないなあという気持ち悪さがあったのですが、「Slack」を導入することによってこの問題も一気に解決しました。テーマごとにチャンネルを変えているから話題が散乱しないし、進行中のプロジェクトが可視化されているから仕事がしやすい。自分たちの活動をチャンネルの種類で日々確認することもできます。同時進行で別の話をしてもこんがらがらない!素晴らしいです。

さらに、ネットショップは活動を始めたころに比べたら飛躍的に、嘘みたいに作業が軽減しました。ショップサイトやアプリがない頃は、ページ作りから、ゼロからすべて自分たちで作っていたのです。注文を受け付ける時は常にパソコンの前から動けず、届いたメールにすべて手動で返信し、紙に「正」の字を書いて、売り切れたら手動でソールドアウトを出す、という、何とも時間と気苦労の多い仕事でした。何人かのスタッフで手分けをして、それでもやっぱりミスが起こることも多く、かなりの労力を必要とする作業だったのです。

それが今は、お世話になっている「BASE」をはじめいろいろなネットショップのサイトやアプリが充実していて、メールも自動で返してくれるし、「発送の準備は整っていますか?」なんて確認までしてくれます。すごいなあ…。

デザインソフトや写真加工ソフトで作ったものも自動的にクラウドサービスに保存されるので、どのデバイスでも(パソコンでもiPadでもスマホでも)作ったものをスタッフ間だったり、クライアントとの間だったりを時差なしで、見せることができます(ネットが繋がっていれば)。

つまりは、自宅でも事務所でも、あるいは出先のカフェでも同じように仕事ができ、共有できる時代。

だからこそ「はたひよどり」のような、いわゆる田舎の場所でもしっかり発信も仕事もできるのです。

もちろん、いま列記したサービスはすべて有料。身軽になったり便利になったりする、その部分をお金で交換しているのですが、それで仕事の質が上がったことは間違いなく、あらためてネット界隈の進化と、もたらした恩恵の大きさに感謝をする日々です。

デザイン担当のスタッフは、日進月歩で変わりゆくデザインツールの習得に余念がなく、毎日が勉強だと頑張っています。私は、といえば、どちらかと言えばアナログな世界が好きではあるものの、活動をつつがなく続けていくためには学ばなければならないこともたくさんあり、置いていかれないように必死でついていっています。

ガラケーからスマホになったことで革新的に世界が広がり、私たちはずいぶんと身軽になったように思います。一方で、変わらないものもある。郷土食だったり、古典だったりは、昔から伝えられ、私たちがそれをまた次の世代へとリレーすべきものだと思います。

でもそれさえも、今はデジタルで伝えられる。清少納言やニーチェをスマホで読み、感じたことをSNSで全世界へ発信することだってできるのです。

iPadにタッチペンで手書きをするように、私たちは常に新しいものを享受し、でも時にあえて不便さを求めながら生活する道を選びました。正解を導きやすくなった半面、失うものも多い気がして寂しさもあるけれど(これについてはまた別の機会にコラムに綴りたいと思います)、このバランスが私にはすごく心地よい。

いまを豊かに生きるために、良いものは取り入れ、譲れないものは変えず、しなやかに頑固に生きていきたいものです。

2019年の「時々コラム」はこれにて終了となります。1年間、お付き合いありがとうございました。

来年も変わりませず、思ったことをつらつらと(でも、週に1回というノルマは自分に課して)綴っていきたいと思います。

サポートありがとうございます。とてもとても励みになります。 島根を中心としたNPO活動に活用させていただきます。島根での暮らしが、楽しく豊かなものになりますように。