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「ていねいな暮らし道」になっていないか。

先日Twitterをのぞいていて、妙に腑に落ちてブックマークしていたのが、このつぶやき。

この後、この方なりの「ていねいな暮らし」についての持論が展開されていて、いろんなリプライが飛び交っています。

私たちくらしアトリエは、そもそも「山陰から、ていねいな暮らしを」をコンセプトとして立ち上げたグループ。であるので、自分たちなりの「ていねいな暮らし」の神髄を理解していただくために、いつも長ったらしい説明をしていたのですが、「いま、目の前にあることに意識を向けて暮らすこと」とシンプルに言うこともできるんだなあ、と腑に落ちてしまいました。

時として、「ていねいな暮らし=手間をかける暮らし」となってしまいがちです。ほうきや重曹で掃除をしましょう、コーヒーはハンドドリップしましょう、土鍋でご飯を炊きましょう、調味料を手作りしましょう、エトセトラ。

以前こちらのコラムにも書きましたが、

私自身が手間をかけて何かをするとき、「ていねいな暮らし」を意識しているのではなく、「その体験そのものを楽しむ」ことを喜びとしているのです。要するに、趣味です(はっきり)。

それを、ていねいな暮らしはこうある「べき」とか「でなければならない」という考え方にとられて、「ていねいな暮らし道」みたいな、変な修行道みたいになるのは、発信する側にとっては悲しいことなのです。

なぜ「道」になってしまうのか、理由は簡単で、「ていねいな暮らし」をビジネスにしようと思うと、その考え方を「物」や「行動パターン」に乗せることが一番手っ取り早いからです。「これさえ買えばていねいな暮らしが送れます!」「これであなたもていねいな暮らしの仲間入り♪」みたいなキャッチフレーズをつけて。

でも、私たちはそれよりも、皆さんひとりひとりの日常の軸の中で、ちょっと目の前のことに心を配り、心地よくなるような時の過ごし方をしてみませんか、という意味合いで「ていねいな暮らし」というワードを使い、提案しています。それは時間やお金のある・なしとは別の軸だと思う。

例えば野の花を瓶に飾ることかもしれないし、コーヒーの産地にこだわることかもしれない。「忙しくて部屋はぐちゃぐちゃだけど、玄関だけはきれいにしている、そうすると帰ってきた時に気持ちがいいから」という人もいるでしょう。

そういう、「自分の気持ちがすっきり穏やかになるポイントを持つこと」の積み重ねが「ていねいな暮らし」だと私たちは考えています。だから、忙しくて時間がない人でも、お金がない人でも、「私にはていねいな暮らしはできないの?」と思う必要はないのです。

…でもこれを書いていると、それはそれで「道」を諭しているようにも思えてきました…どうしよう。

ちなみに「マインドフルネス」はもともと仏教からうまれた考え方で、「今、目の前にある事象に意識を向け、評価をせず、ただ観る」という意味です。瞑想をすることでストレスが軽減される、また脳や身体へ良い影響があるということから、アメリカを中心にビジネスシーンでこの言葉が使われるようになり、日本でもたくさんの本が出版されています。

…私自身は瞑想に成功したことがない邪念の多き人間なので、詳しく説明することはできないのですが…要するに最初に引用したツイートで述べられている通り、「いま、目の前にあることにただ向き合う」という、ごくごく当たり前のことで、日々を穏やかにすることができるということ。ほんと当たり前すぎて拍子抜けしますが、その積み重ねこそが、暮らしを折り目正しく、楽しく豊かにしてくれるんだと思います。「ものを、あったところに、片づける」とか。「ごはんを、ごはんだなと思って、食べる」とか。

ここのところすごく感じるのですが、多様性を認めろ!と世の中全体が叫んでいるのに、「ていねいな暮らしはこうするんだ!」とか「それはていねいじゃないからダメ!」みたいな、多様性に逆行した「見えないルール」みたいなのを感じることが多く、変なの!と思います。

「○○道」は武道とか修験道とか、その道を究めるのが好きな人に任せて、暮らし方は自分なりのものさしを持って、それぞれの測り方で進んでいきたいものです。

…なんだか結論が見えないコラムになりましたが、読んでくださっている皆さんにも、それぞれの長さ・大きさの、オリジナルのものさしを持ってもらえたらいいなあ。そのものさしづくりのひとつの材料に、「くらしアトリエ」「シマシマしまね」を活用していただければ幸いです。

サポートありがとうございます。とてもとても励みになります。 島根を中心としたNPO活動に活用させていただきます。島根での暮らしが、楽しく豊かなものになりますように。