可視化されないと不安になりがち。結局できるのは、「日々コツコツと」。
1年半ほど前に書いたこちらのコラム。
この時、自分自身がすごく「めんどくさがり」になっていて、めんどくさがるのは感情の老化ではないか…というようなことを綴っていますが、最近、またこの「めんどくさい」が自分の中で頻発するようになりました。
何がめんどくさいのか、具体的にあるわけではないのですが…なんとなく目の前にもやがかかっていて、そのもやっとした視界にイライラし、「めんどくさいなあ…」というワードがいつも頭の中にあるような感覚です。
とはいえ、家の掃除もちゃんとしているし、ごはんもそれなりに気を配りながら作っています。お風呂もちゃんと入るし洗濯もする。ジャムや梅シロップを作ったりという余裕もある。そして、noteも書けている。
1年半前の「めんどくさい」とはちょっと感情のベクトルが違うような…という気がします。
そんなことをつらつらと考えていた時、もしかして「めんどくさい」という言葉が言いやすいから頭に浮かんでいるだけで、自分の感情はもっと別のところにあるのかも…と思い当たりました。
先の見えない漠然とした不安みたいなものが頭をもたげていて、そのもやもやした気持ちを、分かりやすい「めんどくさい」という感情にカテゴライズしているだけなのかも。
実は、NPOを運営していると、いろんな不安があります。
今は移転を前に、今後のことをいろいろと考える時期でもあり、スタッフ間でいつも不安を共有し、そのたびに「自分たちの活動に意味はあるのか」といったネガティブなことも考えたりします。
このままでいいんだろうか、続けていけるか、続けていく意義はあるのか、などなど…。
でも、不安を漫然と口にしているだけでは、心のもやもやは晴れないのだなあ、と思うのです。何とかもがいて、答えのようなものを探し当て、そこに向かって少しずつ歩みを進めていくしかない。
だからこそスタッフ間で何度も話し合い、時に励まし合い、指摘し合ったりして、「前を向く」ように軌道修正をします。
仲間がいるというのはこういう時、本当にありがたいことです。
前を向くことの一番の近道は、「とにかくちいさなことでも、日々続けること」だと思います。
大きなことをやろうとしたり、すぐに結果を求めたりすると、そこまでの壁が高すぎて「無理!」となってしまいがちですが、「毎日できることを、信念を持って続けていくこと」なら、私にでもできる。
以前、情報誌の市民記者をしていた時に、当時の編集長に言われた「どんなことでも、続けることができれば、それが財産になるんだよ」という言葉の意味を、いまあらためて重く感じています。
スタッフ間でも、「結局自分たちにできるのは、日々コツコツと、積み重ねていくことなんだよね」という話をしました。
ちいさなこと、ささやかなことを積み上げていくことが、くらしアトリエに関わってくださる方々の背中をちょっと押したり、新たな気づきのきっかけになったり。自分たちの成果はそこにあるんだよなあ、と。
可視化しにくいからいつも不安になるけど、不安になった時にこそ、「日々コツコツと」という気持ちをちゃんと思い出すことが必要なんだと実感しました。
思えば、自分自身のそんな「もやっとした感情」を「めんどくさい」という言葉に置き換えて逃げていたのかも。
移転を前に、この感情の形をとらえ、しっかり受け止めて仲間と共有し、とにかくどんな方向でも一歩進んでみよう、と思えたことは、次のステップにつながるんじゃないかなあ、と気持ちを切り替えると、「めんどくさい」という言葉もどこかに消え、「さあ、週末はフローリングをきれいに拭いて、畑仕事もやるぞ!」というぱりっとした気持ちにシフトすることができました。
こうして日々noteを書き続けることも、あらためて後ろを振り返ると、それなりの成果になります。
悩んだり迷ったりしている時には、後ろを振り返ったり、隣でさっそうと進んでいる人たちをうらやましく見たりしがちです(もちろんそれは、冷静に考えれば気にならないことではあるのですが)。でも、そこからなるべく前を向いて、無理矢理にでもえいっと一歩でもまず進んでみる、というのがコツのような気がします。
これからも何度となくもやもやと不安に陥ることがあると思うけど、そんな時にはこのコラムを思い出し(自分の書いた文章をよく忘れる…)、えいっと足を前に出し、「そうだった!」と、少しずつでもコツコツと積み重ねをしていけたらと思います。
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