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「すこやかな人たち」と関わりながら、「健やかな消費」を考える。

先日、最所あさみさんが綴っておられたこちらの記事に「そうだそうだ」と激しく共感しました。

最所さんの掲げておられる「知性のある消費」ということば、「健やかな人から買いものをしたい」というメッセージは、自分たちが日頃から考えているぼんやりとした思いを言語化してくださっていました。

消費行動は「商品とお金を替えること」なのですが、価値のあるものをいかに安く買うか、みたいなところに焦点が当てられがちです。

それはそれで意義深いことであり、安く買うことも必要ではあるのですが、あまりにそこだけを追い続けることには疑問を持っています。

ものを買うことで「お金が減った」とマイナスに考えるのではなく、「お金と交換で、新たな価値を手に入れた」とプラスに思ったほうが良くない?と思うわけです。

以前働いていた職場の隣にとにかく安いスーパーがあったのですが、同僚の人が「弁当が200円で売ってるんだよ」と喜んでいて、私は「どういう仕組みでその値段になってるんだろう」と考え込んてしまいました。何かの支援目的の値段ではない、単純に「安い!」を売りにしている商品だったので、どう考えても、誰かが損をしているか、どこかで何か良くないことが行われているか、とかを想像してしまい、喜んでそのお弁当を食べる気にはならない。それよりも、適切な値段で、栄養と食材に気を遣って作られた、何より「おいしいお弁当」を食べたいなあ、と思うのです。

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お金と交換するのは商品という「価値」ですが、それは単に「物」ではなく、「おいしさ」だったり「素敵な雰囲気」だったり「おもてなし」だったり「社会的意義」だったりの集合体です。そして、さらにその向こうには作る人、関わっている人が必ずいるはずで、生産と消費の循環の中で誰が損をしてもいけない、そう思います。(だから、買って食べたらおいしくなかった、という時には「お金と価値を交換しているはずなのに!損した!」と、すごく腹が立ちます。)みんながそんな気持ちを持って消費行動を行えるような社会が理想です。


くらしアトリエが「応援すること」が好きで、応援気質が活動の原動力になっている、というのは以前にコラムで書いたことがありますが、応援したいのは、真摯に物事に向き合っておられる方々ばかりです。
そして、そんな「まっとうな」「嘘偽りのない」ものやことに対して応援をするならば、やはり対等な金額を支払いたい、支払わなければならない、というのが根底にあります。「応援」の一番直接的な方法のひとつが「消費すること」だと思うからです。

けさのnoteでご紹介した「鹿糠パーク」のイノシシソーセージは、まさに「まっとうで嘘偽りがない」ものづくりです。

地域の中で、今まで悪いものと見なされていたもの・あるいは見ないふりをしてきたものに、新たな価値を見出して、商品として提供する。

そのことが地域社会にも良い影響を与え、最終的に作り手の利益になる。「イノシシを加工すること=俺の利益」ではなく、「雇用を増やしたいし、たくさんの人にこの地域に来て魅力を知ってほしいから、そのためにソーセージを頑張ってたくさん売りたい」という考え方がとても「健やか」だと思います。

島根にはほかにも、美郷町の「おおち山くじら」さん、松江市の「合同会社弐百円」さんなど、イノシシ肉を通してソーシャルグッドなものづくりをされている方々がいらっしゃいますが、お話をうかがうと皆さん島根の中山間地域の現状をしっかり見据えながら、少しでも良い方向に、そして、どこにも搾取や損がない仕組みを、と奔走されています。

「おおち山くじら」さんは島根県内の害獣対策の先駆者であり、Iターン者と地元の皆さんが一緒に特産品づくりをされています。「シマシマしまね」でも販売していたジビエの缶詰は、本当においしくてリピーターも多い商品です。

また、「合同会社弐百円」の森脇さんの取り組みについては2年前に「シマシマ編集室」で取材しています。下記の記事も良かったら読んでみてください。

もちろんイノシシ肉に限らず、どんなジャンルであっても、重要視したいのは作り手が真摯に商品に向き合っている、ということ。こうした「まっとうな」「嘘偽りのない」方々と、商品とお金を交換する。さらに、商品の向こうにある付加価値も交換する。本来消費ってそういう前向きな行動であるべきだなあ、と、最所さんの記事を読んで思ったのでした。

健やかな人から買いものをしたいと思うし、自分たちもいつも「健やか」でありたいものです。


ところで、先日「鹿糠パーク」の鹿糠さんのところに伺うまで、私は「イノシシ肉が豚肉くらいの価格になったら、もっとみんな身近に感じて食べるようになるんじゃないか」と考えていました。イノシシは畑を荒らす害獣とされ、嫌われ者なわけですが、それがもし安価になって日常に食べるお肉と同じような位置づけになれば、需要も増えて良い循環が生まれるんじゃないか、と思ったのです。だから、せめて100g198円とかで販売できるようにならないかなあ、と漠然と考えていました。

その話を鹿糠さんにしたところ、思いがけない返事が返ってきました。

「違いますよ、それはねえ、豚肉が安すぎるんですよ」

つまり、大勢の豚をいっぺんに同じ養豚場で、配合飼料で短期間に大きく育てて市場で売るのと、山の中で木の実や木の根っこなどを食べ、山々を走り回って何年も育ってきたイノシシの肉を売るのでは、値段が違って当たり前、ということなのです。
考えてみればそりゃそうだ、と一気に腑に落ちました。養殖のウナギより天然ウナギのほうが値段が高いのと同じだと思えばいいのだな、と。それと同時に、島根の山をのびのび走り回って木の実を食べているイノシシが頭に浮かび、何だかすごくおいしそうだな、と思えてきました。
もちろん、畑を荒らしたり、道路に石を落としたりといった「害獣」的側面は島根では差し迫った問題で、「のびのび走り回られても困る!」という意見も当然ではありますが、そこに新たな視点が加わったら、ちょっと価値観が変わってくる。それがすごく面白い。

イノシシは筋肉質で高価な牛肉のようにサシが入ったりしてないし、人間が思ったような理想の肉ではないかもしれないけれど、それが動物本来の肉、ということ。

どうおいしく、たくさんの方に喜んでいただけるような商品にするか、というところを、前述した皆さんたちが試行錯誤して考えてくださっている、ということなんですね~。私たちはそこにお金を払うわけです。納得。

視点を変えることで違う価値が生まれる。そんなことにあらためて気づかせてもらい、私の中にもまた違う価値が生まれる。その連鎖が「地域を良くする」ことにつながっていくんだなあ、と感じた出来事でした。

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「健やかな人」と関わりながら、「適正な価格」でやり取りし、「価値を見出して」生きていきたい。

理想論かもしれませんが、これからの生き方において、「健やかさ」は消費マインドの大切な指針になってくるのではないでしょうか。

そして、私たちくらしアトリエの役割は「健やかな人たち」ひとりひとりに焦点を当てて、その真摯な思いをしっかり伝えていくこと。
良い買いもの・価値のある買いものについて、これからも一緒に考えていけたら嬉しいです。

サポートありがとうございます。とてもとても励みになります。 島根を中心としたNPO活動に活用させていただきます。島根での暮らしが、楽しく豊かなものになりますように。