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どんな洋服を着たらいい?自分が大切にしていることを、洋服選びから考える。

以前コラムにも書きましたが、若いときよりも洋服の賞味期限が早い気がしています。

「真っ白いTシャツ」のように、突然、今まで着ていたものが似合わなくなるという現象が、中年になると起こる…。「長く着ようとしても来年にはもう似合わないかもしれない」という現実に直面せねばなりません(私と私の周りだけかもしれませんが…)。

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くらしアトリエにはいわゆる「制服」「ユニフォーム」というものがありません。なので、スタッフそれぞれが好きな格好をして仕事をしています。

自由なファッションが楽しめる、というのは仕事をする上でなかなか良い環境なんじゃないかと思います。今は、そんな職場も増えているのでしょうね。

そんな中で、自分はどんな洋服を選ぶのか。

以前は「値段の高いもの=いいもの」と考えていました。もちろん、それは間違っていないし、良いものを長く使うことは何よりサスティナブルだと思うのですが、正直「上質なものを買って長く着用する、と言ってる自分が好き」みたいなところもありました。

今は、「長く着よう」という気持ちよりも、「今の気分や心地よさに正直になろう」という気持ちの方が大きい。その理由は先述した「長く着ようとしても来年にはもう似合わないかもしれない」という現実です。

突然、今まで着ていたものが似合わなくなるという現象が、中年になると起こり得る。だから、「長く愛せる」という基準で服を選ぶということは逆に危険なのでは、と思い至りました。

今の自分の気持ちに寄り添ってもっと気軽に服を選び、似合わなくなったら次の人へ譲る。気に入ったものはそれこそ破れるまで着倒す(めちゃくちゃ気に入っていたワイドパンツはお尻が破れても修繕して履いていました)。
新品で洋服を買うこともほとんどないし、着られなくなったものはまた売ったりバザーに出したりして、循環させるように。それはそれで、サスティナブルな洋服のあり方だと思います。

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そもそも、自分自身は洋服選びに対してすごく貪欲でした。

独身時代にはいくつもファッション誌を購入し、気に入ったファッションを切り抜いてスクラップブックを作るくらい、流行のOLファッションを信奉していた私。切り抜いたコーディネートを忠実に再現すべく、地元の百貨店で洋服を購入していました。

小物にも凝っていて、特にスカーフはたくさん持っていました。
エトロとかブルガリとかエルメスとか…どれもバッグや財布は高くて買えないけど、スカーフならギリギリ買える(それでも万単位でしたけど)。紺のブレザーにスカーフを巻いたりして、バリバリのキャリアファッションで仕事をしていたのです。今考えると「誰やねん」って感じですが…。

それがいつの頃からか、「なるべく楽で」「色も極力少なめ控えめで」「身体に負担のかからない」ということが洋服選びの優先順位になりました。

年齢を重ねたということもあるのでしょうが、いったい何が自分を変えたのでしょう。

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大きなきっかけは結婚して、フルタイムの仕事を辞めざるを得なかったことです。それまで暮らしていた場所から松江に引っ越し、それなりにやりがいを持っていた仕事も手放すことに。もうストッキングもタイトスカートも履く機会がない。
一応、捨てずに引っ越しの荷物に持って来てはいましたが、出番はほとんどありませんでした。

でも、そのことを悲観したことはありませんでした。
仕事を辞めた、という空虚感よりも、「これから知らない土地で、新しい生活を自分でつくっていくんだ!」という開拓心やわくわくのほうが勝り、「暮らし」をあらためて自分ごととして考える大きな転換点になりました。

ファッション雑誌を買うことはなくなり、スクラップブックも処分。自分の興味関心が「雑誌のファッションをなぞること」から「自分の暮らしを自分でつくること」に移り変わったのです。

新たな職を求めてハローワークに自転車で通う日々。
買い物も図書館通いも自転車が交通手段です。必然的にカジュアルな格好で過ごすことが多くなります。ハローワークへ向かう途中、松江の北と南を隔てる川にかかった大橋を渡りながら、ふと足を止めて「水の都・松江」の風景を見た時、何とも言えず豊かな気持ちになったことを、今でも覚えています。

こうやって自転車に乗って風を感じて、美しい風景の町で暮らして、お気に入りのお店で買い物をして、帰る(自分のつくる)家がある。これって、なんだかいいなあ。そんな風に思ってから、身につけるものの傾向が徐々に変わってきたように思います。

「大切にしたいものが変わった」ことと、「自分基準で物を選ぶことの楽しさに気づいた」ことが、洋服選びの大転換点だったのだなあ。

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どう思われたいかという視点で服を選ばなくなったことで、自分を奮い立たせるような服を選ぶことはなくなり、動きやすく、主張の少ないものを好むようになりました。その後就いた仕事がスーツやパンプスを強要するような職場ではなかったことも、自分としてはとてもありがたかったです。

「動きやすい」「着ていて楽」ということは、一歩間違うと「体型の崩れを自分に許す言い訳」になってしまうのですが(もちろんそれもあるけれど)、今の自分がパフォーマンスを最大限発揮するために必要なのは「ファッションで自分を奮い立たせる」ことではなく、「身体に負担をかけない」ことなのかな、と思います。

これは人それぞれ価値観が違うから、あくまでも私の場合、ですが。
ハイヒールを履くことで仕事モードに入れるという方もいらっしゃるでしょうし、スーツじゃないと仕事をしている気がしない、という方もおられるでしょう。パフォーマンスを発揮するためのツールは人によって違う。
それがファッションの面白いところかもしれません。

若い頃の自分には「ファッションに対して誠実さが足りない!」と怒られそうですが、だんだんと「負担なく」「心地よく」いられるというのが大切になってくるんだ、ということを、当時の自分は知り得なかった。

ファッションの多様性って、歳を重ねて初めて理解できるものなのかもしれません。
こうして考えると、今の自分もしっかりとファッションに向き合っているんじゃないかな、という気もします。

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寛容になったのかズボラになったのか分かりませんが、洋服を選ぶ楽しさは忘れず、いつか「かわいい洋服を着ているおばあちゃん」になれたらいいな、というのが夢。

田舎では「お年寄りはみんな似たような恰好をしている」イメージがあるのですが(そして、割と本当に似たような恰好をしている)、みんながそれぞれ自分の身につけるものを自問自答し、自由に選んでいけるようになれば、地方におけるファッションの多様性はもっと高まるんじゃないでしょうか。

かわいい服を着ているおじいちゃんおばあちゃんが地方にいっぱいいたら、めちゃくちゃ素敵だなあ。

これからはエイジレス・ジェンダーレスなファッションもどんどん発展していくだろうし、そうなればなるほど、自分らしいファッションはどんなのだろう、と自問自答することが大切になります。

歳を重ねても流されることなく、「私はこれが好き!」という軸をしっかり持っていられるように、暮らしていきたいものです。



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