慶應大学講義『都市型ポップス概論』② 【国道16号線と湘南音楽】 (こたにな々)
●文学部 久保田万太郎記念講座【現代芸術 Ⅰ】
『都市型ポップス概論』 第二回目
----------------2018.04.20 慶應義塾大学 三田キャンパス
講師:藤井丈司 (音楽プロデューサー) ・ 牧村憲一 (音楽プロデューサー)
国道16号線
首都圏を巡る国道16号線は、軍事的経済的に重要な道だった...
そして ”狭山” ”福生” ”八王子” ”横浜” ”横須賀” と、70年代音楽の起点となった地域を結んでいたー
国道16号線沿いの街が日本の戦後ポップスの担い手を輩出したり、その拠点となったりした。その背景には米軍基地があり、特に戦後から1960年代にかけては、米軍基地とFEN放送が作った擬似アメリカの街とも言えた。戦争は文化を変える。
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●戦争と音楽〜軍隊における軍楽隊の役割〜
江戸末期、各藩は欧米諸国の戦法に ”軍楽隊” がいることを知る。
映画『アラモの砦』戦闘シーンより
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=j8neBVJ6aDI
軍楽隊が江戸時代末期に日本に導入されたのは、軍楽隊なしでは欧米とは戦いにならなかったから。結果的には近代西洋音楽の導入に繋がった。その後の楽器の発達も戦争と隣り合わせだった。
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●エレキ・ギターの時代 (戦後日本ポップ・ロック)
軽音楽は管楽器がメインで、あくまでギターはリズム担当だった時代から、エレキギターが主役になる時代がやって来る。
第二次世界大戦後、戦勝国のアメリカは戦後景気がよくなり、50年代中頃には雇用が溢れ人出不足が生じた。その為小さい店の売り子などを高校生がやるようになり、若者が消費の担い手になる事でロックンロールが生まれた
ロックンロールは日本上陸当初はカントリーの側面が強調され、”ロカビリー” と呼ばれていた。
その頃、有楽町の日劇(現・有楽町マリオン) で1958年に初めて開催されたロカビリーのイベント『日劇ウエスタンカーニバル』 初日となった2月8日はその後、ロカビリーの日と呼ばれるようになるほど人気を博した。”ロカビリー三人男” としてミッキー・カーチス、山下敬二郎と共に爆発的人気だった ”平尾昌晃” は慶應高校在籍中にデビュー。時代はロカビリー全盛へ。
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=rBfgwjN7-xE
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●エレキ・インストの時代
寺内タケシ がベンチャーズの影響もあり、エレキギターがメインのインストバンド ”ブルージーンズ” を発進させる。
●ザ・ベンチャーズ『Walk Don’t Run』
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=owq7hgzna3E
ベンチャーズの影響で瞬く間に若者がエレキギターに夢中になり、お茶の間には『勝ち抜きエレキ合戦』というバンドオーディションのTV番組まで登場する。
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●若大将・加山雄三の登場
映画若大将シリーズ『夜空の星』 作詞: 岩谷時子 作曲: 弾厚作
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=TJfMsdPRlTU
ギターメインのインストバンドでギターを弾きながら、若大将こと加山雄三が歌う映画シーン。これがその後の”GSグループ・サウンズ”の原型となる。
そしてもうひとつ、加山雄三は曲を自分で作り・自分で演奏する ”自作自演でヒットを連発。それまでは歌手は歌い・職業作家が作るという分業が基本だった。
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●湘南音楽
重要なのが ”慶應義塾大学・慶應高校” という存在ー
卒業生には 加山雄三、加瀬邦彦、平尾昌晃という、1960年代 ”横浜” ”茅ヶ崎” ”江ノ島” で生まれたエレキ・ブームを繋ぐ人物がいた。
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=KneEOeUXSn4
加瀬邦彦 は慶應高校在学中に、慶應義塾大学在学中の加山雄三と出会い、妹に恋をした(自伝本より)。その結果、加山雄三の家でギターを教わる事となる。後に結成する自分のグループに ”ワイルドワンズ" という名前をもらう
”寺内タケシとブルージーンズ” に1966年まで加入していた。
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●絹の道
ベンチャーズによる荒井由実『ルージュの伝言』のカバー
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=GVz0t-GSI-I
ベンチャーズによるサザンオールスターズ『チャコの海岸物語』のカバー
参照リンク:https://www.youtube.com/watch?v=1mNR1fzSirU
ベンチャーズに影響を受けた日本のポップスがベンチャーズにがカバーされる。ユーミンの出身地である ”八王子” と ”湘南” は江戸時代から絹の道 (絹の輸出)として繋がっていた。
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●ビートルズ登場
1966年ビートルズの登場が、ベンチャーズの人気を覆う。
そして主役はエレキ・ギターから ”エレキ・ギターとボーカル” へと移る―
その影響は当時だけでなく今も続く。
慶應においても、”杉真理” が慶應義塾大学の軽音楽サークル『リアルマッコイズ』に所属し、翌年には同じく慶應大生である ”竹内まりや” も所属する
後にギター主役の時代に激変が起こるー
YMOの登場で78年から日本のポップスが変わった。
(YMOの話はまた違う回で特集)
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日本のポップスはこれらの音楽の受容者たちによって作られたが、米軍基地から流されるラジオ放送『FEN』を聴くことができた国道16号線沿線の出身者が多いのは当然であり、また当時楽器は高価で経済力のある家庭の子しか参入できなかった。こうした理由もあり湘南地域に住む慶應高校・慶應大学の在学生・卒業生が、ポップスの中心となってゆく。
ポップス研究は、社会学・経済学でもある。
音楽が経済や文化や世相と無縁なわけがない。
時間(時代)と、場所と、人。 TIME PLACE PERSON
そこに音楽が生まれる―
次回へ!!!!https://note.mu/kurashi_no_nana/n/n8f8b6ee1e8ab
お読み下さってありがとうございました!
本文章は牧村さん及び藤井さんの許可と添削を経て掲載させて頂いています
文:こたにな々 (ライター) 兵庫県出身・東京都在住 https://twitter.com/HiPlease7
◆HP: https://kotaninana.wixsite.com/kurashino-no-nana
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