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文学朗読劇『こゝろ』についてのノート①

『こゝろ』の初演について

 『こゝろ』は「こころ」です。真ん中の字は旧仮名遣いです。「じおくり」と入力すると出ます。夏目漱石の代表作の一つで、1914年(大正3年)に朝日新聞で連載、同年9月に岩波書店から出版されました。漱石自身による初版本の背表紙の装丁が「こゝろ」だったので、同様の表記をしています。
 Ortが最初に、原作の第三章をもとにして『こゝろ』を上演したのは2000年12月27日〜30日、渋谷のギャラリー・ルデコ3でした。まだルデコでの演劇公演が少なかった頃です。当時のチラシ文章が残っていたので、引用します。

初演のチラシから

Ortは演出家と美術家と女優のユニットとしてこの4月から活動を始め、これまで『山月記』(作:中島敦)の朗読、阿佐ヶ谷のクラシック喫茶での『舞姫』(作:森鴎外)の公演、財団法人舞台芸術財団演劇人会議主催の演出家コンクールに『棒になった男』(作:安部公房)で参加と活動してきましたが、どれも限られた人々へのクローズド公演でした。今回の「こころ」が満を持しての一般公開となります。
『こころ』は漱石自らが「自己の心を捕えんと欲する人々に、人間の心を捕え得たる此作物を奨む」と広告した作品で、漱石の代表作の一つに挙げられます。一般に「恋愛におけるエゴイズム」や「殉死」の問題がクローズアップされがちですが、僕はこの作品は「人の心はいかに死ぬか」を描ききった作品だと思っています。成長欲求が、愛情が、都市が、人の心を死に至らしめる、僕はそこに近代から今につながる病を見ます。

活動開始1年目に加えて、この文章を書いた時の自分は30歳、肩に力の入った感じはなかなか照れくさいものがあります。恥かきついでに、当日パンフレットの演出ノートもお蔵出しします。

初演の当日パンフから

『こゝろ』は1914年に発表されましたが、第3章の舞台となっているのは1900年前後のことと推測されます。ちょうど今から100年前の東京の物語です。
この時代、東京ではいったいどんな出来事が進行していたのか。それは「核家族化」と「学問の機会均等化」、そして「男女の恋愛の自由化」です。漱石は自らの生きるこの時代をこう呼びました、《自由と独立と己とに満ちた現代》と。

100年前と今では何も変わっていない。

『こゝろ』には様々な解釈がありますが、僕は『こゝろ』は【敗北】を描いた作品だと解釈しています。【恋愛の敗北】だけではなく【主義の敗北】【理想の敗北】そして【家庭の敗北】。
そこには「愛情が近代的家庭を壊す」「明治の精神に殉死する」とつぶやく漱石の敗北感が強く刻まれています。

いえ、漱石だけではありません、鴎外もまたしかり。
明治の文学が「負け犬の文学」と呼ばれる通り、近代文学はすべからく敗北感に彩られています。この敗北感は近代以降の日本そのものが抱えた敗北感ではなかったのか。私たちがこの国に誇りを持てないのは、この都市を愛せないのは、その敗北感ゆえではないのか。
僕はこの「敗北」を見据えていこうと思う。

本日はありがとうございます。
20世紀の最後に、この場所でこの芝居をやれる喜びを感じています。
これからもOrtを応援してください。

初演から再演、そして今回へ

初演した2000年から23年がたち、僕も今や53歳です。22年の間に現代舞台芸術ユニットOrtは、僕のソロ活動のOrt-d.dとなり、西巣鴨で劇団化してTheatre Company Ort-d.dとなり、立川への拠点移動と共にTheatre Ortとなりました。『こゝろ』は2004年10月にBeSeTo国際演劇祭東京開催にて新演出で再演し、翌年3月に栃木・那須野ヶ原パフォーミングアーツフェスティバルで、10月にIKACHI国際舞台芸術祭で上演しました。今回、朗読劇という違う形にはなりますが、18年という時を経て再び取り上げることにしたのは、さまざまな理由があります。作品のイメージ写真と共に、一つずつ、紐解いていきたいと思います。それが皆さんに興味を持ってもらうきっかけになれば幸いです。

公演情報(Facebookイベントページ)
https://fb.me/e/2o72lXzBh

予約フォーム(各回定員15名)
https://forms.gle/B3Toy1YoDHBpgiHL6

Theatre Ort ツイッター
https://twitter.com/Ortdd_tweet

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