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ロピアの絹ごしプリン

このプリンに出会ったのは今から10年以上前のことです。

IMG_0941のコピー

初めて見つけたのは大阪の庶民的なスーパーでした。大阪や神戸は、客層によって食品スーパーが分化していますが、このプリンは下町の中小のスーパーに置いてあり、高級住宅街のスーパーのみならず、ちょっといい目の品が置いてある大手スーパーでは扱っていませんでした。

入れ物は薄い透明な樹脂のカップで、蓋が褐色のハトロン紙で覆ってあり、工房でひとつひとつ丁寧に手づくりをしている女性職人がイメージされ、ブランドではないけれども、真面目さ・誠実さに溢れた外観をしていました。

中のプリンは、表面に張った膜がまさに絹ごし豆腐のようにすべすべしています。膜を破ると、浮き上がりるように軽くてやわらかい中身が溢れ出してきて、小さじで掬うと、とろっとしているが崩れる寸前で形を保っています。

味は、普通の砂糖から角をとった優しい甘さに、ありふれたなじみのある卵黄のほどよいコクと、普通のミルクとが、円満に混じり合ったことで、その均質感が澄んだ透明感のある高貴な味わいを与えています。

口に含むと、表面に輪郭を感じ、存在感を示します。それが、口の中で滑り、舌の上を吸い込まれながら拡がって潰れて行きます。喉を通るとき、ほのかにバニラビーンズの余韻が香って、消え去って行きます。その気丈さと、はかなさが何とも言えないドラマ感を秘めています。スイーツなのに哀しみが身体を抜けて行きます。美味しい!という茫洋とした味覚体験ではなくて、覚醒して観る小演劇のおもむきです。それが、わずか100円で味わえるのです。

今まで、学会の用事で東京へ出張した折や、大阪や神戸で勤務していたときは、家族へのお土産にと、デパ地下の有名洋菓子店のプリンをよく買っていましたが、絹ごしプリンは、トータルなバランスでそれらをしのぐものでした。ブランドのプリンは、容器が豪華だったり、コクが強すぎたり、硬かったり、逆に液体に近いくらいとろっとしています。いずれも個性が強く打ち出されていて、それでこそブランドなのでしょうが、全体のバランスが悪く感じられました。

ロピアの絹ごしプリンは、外観、味、食感の全てにおいて、普通の材料から丁寧に引き出されたものが、きれいに並んでいます。それらは、お互いに助け合って、どれも他を押しのけて誇らないことで、エレガントな知性を感じさせます。コスト的に特別な高級食材は使っていないはずですが、その代わりに、全ての食材が、仲良く手をつないで正円を描いているようです。だから、絹ごしプリンのおいしさの本質は、「協調とバランス」という、抽象レベルに昇華されたものです。そのような逸品が庶民的なスーパーに埋もれていたのでした。

そんな絹ごしプリンですが、しばしば売れ残って値引きされたりしていました。なぜ多くの人は、この良さに気付かないのか?そこで、職場で絹ごしプリンのことを言って回ったり、差し入れしたりしてみましたが、確かに美味しいとは言ってもらえるものの、熱烈なリピーターになる人はいませんでした。

5年ほど前から、絹ごしプリンはモンドセレクションの金賞を受賞した証が、蓋にラベルされました。外部の専門家による客観評価が得られたわけです。そのころから全国チェーンの大手スーパーにも出回るようになりました。昨年、岡山に転居したときに、大手スーパーでも、中四国を基盤とした中堅スパーでも扱われていて、関西だけでなく全国的にじわじわと認められ出したのを実感しました。夜、スーパーのスイーツ売り場に行くと、売り切れていて、がっかりすることもしばしばです。

絹ごしプリンの物語は(まだまだ序章ですが)、それ自体に際だったセールスポイントがなく、ブランドというタグがなくとも、抽象レベルで優れたものは、飽きられることがないので、長い時間をかけて世の中に浸透することを教えています。

(2019年2月23日)


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