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村上春樹・作「ノルウェイの森」の阿美寮を探して

村上春樹の出世作「ノルウェイの森」において、主人公が、直子の入院している病院「阿美寮」を訪ねる場面がある。
京都の三条から路線バスで鴨川を北上し、山の中に入ったという記述があるので、京都と滋賀の県境を通り、福井県の若狭と京都を結んでいた旧・鯖街道(さばかいどう)を北上した可能性が高い。
峠が登場する描写があるが、おそらくそれは京都府と滋賀県の県境に位置する花折峠ではないか。この周辺の京都側には病院はないが、比良山地を滋賀県の琵琶湖側に下ると、かつて戦前より結核療養所「比良園」(ひらえん)があった。

筆者は、この「比良園」が「阿美寮」のモチーフになったのではないか?と推測した。

筆者は滋賀県出身なので、何十年か振りに「比良園」のあった地を訪ねてみた。

比良山地は、京都と滋賀の県境に位置し、標高1200m級の山々がそびえ、京都市内からも比叡山の北側に山頂を見ることができる。滋賀側では山裾が琵琶湖のすぐ近くまで迫っている。古来より修験者の山であった。

毎年3月下旬頃、比良山から琵琶湖に突風が吹き下ろす。「比良八荒」とよばれ、湖国に春の訪れを告げる自然現象である。このローカルな自然現象が、かつて全国的に知られるようになったのは、1941年、旧制の四高と三高のボート部の学生11名が琵琶湖を縦走中、比良八荒に吹かれて遭難し、全員が亡くなった痛ましい事故による。

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琵琶湖西岸の和邇浜(わにはま)から見た比良山地
琵琶湖の西側では、山地が琵琶湖のすぐそばまで迫っている。

地元には比良八荒にまつわる悲しい昔話がある。比良山で修行をしていた若い修行僧が病に倒れ、村の娘に助けられた。娘は修行僧に恋をし、病気が治って修行僧が去るときに別れたくないと泣いた。僧は「これから堅田の満月寺に隠り、百日間の修行をするから、たらい舟を漕いで百日間毎夜、琵琶湖を渡って通い続けることができたらあなたと夫婦になりましょう」と約束した。それから娘は毎夜、修行僧のいる満月寺の浮御堂(うきみどう)を目指して琵琶湖を渡った。

浮御堂は、琵琶湖に突き出したお堂で、ちょうど灯台の役割を果たしたであろう。百日目の夜、娘が浮御堂を目指していると、僧は恐れを感じ、浮御堂の灯火を消した。それでも娘はたらい舟を漕いで湖をさまよっているうちに、突風が吹き、たらい舟は湖にのまれた。それから毎年、3月の下旬になると比良山地から風が吹き、湖が荒れるようになったので、娘の怨みで風が吹くのだと言い伝えられた。

満月寺の浮御堂(滋賀県大津市堅田)
お堂は湖に突き出して建てられており、夜の湖上から灯明がよく見えたであろう。
近江八景「堅田の落雁」で名高い景勝地である。

話は、比良園・探訪に戻る。
筆者は地元で、母の20歳年上の伯母から聞いた話では、結核療養所「比良園」は、結核が不治の病であった頃、「命を拾えない」という言葉になぞらえて、「拾らえん」と呼ばれた哀しい歴史があったそうである。

路線バスに乗り、和邇浜から1kmほど比良山地側へ昇ると、かつて比良園があった場所に着く。

比良園は、現在は日本赤十字社に移管され、大津赤十字志賀病院となっている。今は、県の支援で整備され、近代的医療機関に生まれかわり、地域医療を担っていた。

大津赤十字志賀病院(滋賀県大津市和邇中)


*表題の画像は冬の比良山地。山頂には、「びわ湖バレー」という関西屈指のスキー場がある。現在、展望施設、「びわ湖テラス」が整備され、年間を通して人気の観光スポットになっている。




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