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帰りたくなる場所 −祭りが、うなぎが、湧水が、思い出が呼び寄せてくれる三島−


「三島に行きたいなぁ……」

昨年、母の生家は壊されてしまった。
今はもう、子供の頃にあれほど遊びに行った三島に行く機会はすっかりなくなってしまった。それでも、時々三島のことを思い出す。
三島とは、東海道新幹線で東京駅から数えて5つ目の駅が存在する、静岡県三島市のことだ。

幼少の頃は、お盆の頃に開催される三嶋大社の夏祭りに合わせて、母の7人の兄弟姉妹とその子供達、つまり、私にとってのおじさんおばさんやいとこたちが集合して賑やかに過ごした。
同じ年ごろのいとこたちとトランプをやったりゲームをやったり、とにかくどんな事でも交流を持てるのが楽しかった。
おじさんやおばさんもとても気さくだった。特におじさん。おじさんとは体当たりで遊んでもらった。ぶら下がったり投げ飛ばされたり、若干プロレスもどきの遊びだったかもしれないけれど、年上のお兄さんとしかできないその遊びがたまらなく楽しかった。体力を消耗するので長く続けてはもらえず、いつも、
「もっと、もっと遊んで!」
「えー、もう帰っちゃうの?」
とその欲は尽きず、おじさんを見つけては催促するほどだった。

三島の家では、不思議な体験もした。
「なんでこのお風呂、底に板を敷いているの?」
子供の頃の私の素朴な疑問だった。自分の家とこの家のお風呂が違いすぎる。
大きい釜みたいな形をした風呂で、底に木の板が敷いてある。
「板を敷かないとね、熱くて入れないんだよ」
と、祖母が教えてくれた。
そう、このお風呂は、五右衛門風呂だった。家のお風呂よりも暖かくて気持ちが良かった。それはそうだ。お湯が冷めた時は、外で祖母が火を焚いて追い焚きしてくれたから。
後にも先にも、三島の家以外で五右衛門風呂に出会ったことがない。知らずに貴重な経験をしていたものだ。

三嶋大社の夏祭りにも足繁く出かけた。
三嶋大社は、三島駅から15分ほど南に向かって歩いたところに位置する神社で、伊豆に流された源頼朝が深く崇敬していたことでも知られる。
三嶋大社にお祀りされているご祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)と事代主神(ことしろぬしのかみ)で、これら御二柱の神を三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と総称している。ちなみに事代主神は、出雲大社のご祭神である大国主神(おおくにぬしのかみ=大黒さま)の息子にあたり、“恵比寿さま”としても親しまれている。

源頼朝が源氏再興を三嶋大社に祈願し、そして成功すると、伊豆国 一宮として三嶋大明神の名は広く天下に広まっていった。
「一宮」とは、その国のなかでも社格が高く最も有力とされる神社のことを指すので、三嶋大社は伊豆で一番格式が高い神社と言うことになる。

そんな三嶋大社の夏祭りだから、町をあげて行われる一大イベントとなる。毎年8月の15〜17日の3日間は大社の界隈は昼夜を問わず活気に溢れ、たいへん賑やかになる。
周辺は歩行者天国となり、夜になると町中の山車が三嶋大社大鳥居前に集まり、一斉に競り合いが始まる。数台の山車から響く、シャギリの軽快な音とリズムを今でも忘れていない。シャギリとは、ねりものの行列の際に、雰囲気を出すために、打楽器で奏する音のことである。
山車の迫力と軽快なシャギリの音で、祭りの熱気は最高潮に達する。私はその熱気にいつも胸を躍らせ、祭りを、夏を満喫したものだ。

源頼朝が三島大社を崇敬し源氏再興を祈願したことにちなんで、頼朝公旗挙げ行列も行われている。でも子供だった私にはそんな歴史的伝統芸能よりも、境内や周辺の通りのかなり広い規模でズラリと並ぶ屋台を回る方がよほど楽しかった。端から端までくまなく歩いて、決められたお小遣いの範囲でいかに欲しいものを厳選して買うかを真剣に考えていた。考え抜いて決めて買い物するのが本当に楽しみだった。大社の境内では、手筒花火なんかもやっていてお祭りのフィナーレとして人が集まっていたが、私はいつも花火そっちのけで屋台に集中していた。

それほど大好きな三島だっただけに、私はその後大きくなってからも、時々足を運んだ。
19歳の厄年、厄払いに選んだのはやはり三嶋大社だった。東京からはるばる足を運んで厄を払ってもらった。その当時は三嶋大社がそれほど格式高い神社とは知らなかったけれど、幼少からの愛おしい思い出が詰まっており、一番身近で、一番成長を見守ってくれた神社であるように感じられたから、人生に必要な厄払いならぜひ三嶋大社で、と考えて決めたたことを今でも覚えている。

結婚して間も無くの頃に、たまたま主人の仕事で三島を訪れたことがあった。この時に初めて、柿田川周辺の水の綺麗な観光スポットを訪れた。
柿田川は母の生家のごく近くを流れていたというのに、私はそれまで柿田川の湧水群のことを知らなかった。この時初めて目にしたが、その透明さ、碧さに言葉を失った。地中海かどこかのコバルトブルーの海のようなあお。ここが本当に日本なの? 三島の家の近所なの? と、にわかには信じ難かった。こんなに近くに、こんなに美しい水が湧き出ている場所があったなんて!
調べてみると、高知県の四万十川、岐阜県の長良川とともに、柿田川は日本三大清流のひとつとされている。私が高校生の頃には柿田川湧水群として日本名水百選に選定され、さらにその後国指定天然記念物にも指定されたのだそうだ。足繁く三島を訪れていた幼少の頃とちょうど入れ違いに、その後認知が進んだということらしい。
また、水が綺麗なことから、うなぎも美味しいと有名だ。湧き水で数日間生きたうなぎを泳がせることで、うなぎの生臭さや泥臭さが消えるからなのだそうだ。このようなうんちくは大人になってから知ったことだが、実は子供の頃から、祖父母に頻繁に「うなよし」に連れて行ってもらっていた。この「うなよし」が、遠方からはるばるうなぎを食べに来る人もいるほどの名店であることも、ずっと後に、大人になってから知ることになる。
祖父母にご馳走になっていた幼少時はそのありがたみもよくわかっていなかったけれど、東京からはるばる足を運んで、自分たちのお金で三島のうなぎの美味しさを味わった時、祖父母がご馳走してくれたその思い出を、ひとしおに愛おしく感じたものだ。

大人になるほどに、子供の頃の思い出は純粋で愛おしいものに思えるけれど、三島での思い出は、私の中でその中核となるものばかりだ。実際には母のふるさとだけれど、もう立派に私にとってもふるさとと呼べると思っている。
東京で生まれ育ち、その後埼玉や神奈川で住まいを構えてきたけれど、時々「帰りたい」と思うくらいに愛着の湧く場所は、今住んでいるところを除けば三島くらいしか思い当たらない。三島には住んだことはないというのに。

そんな折、母が近々三島に行こうと誘ってくれた。生家はもうないので日帰りだろう。それでも楽しみだ。祖父母が食べさせてくれたうなぎをまた味わいに、あの綺麗な柿田川の湧き水を見に、三嶋大社にお参りに行きたい。
そして、家はなくなってしまったけれど、三島にある寺のお墓に眠り続ける、祖父と祖母にも会いに行きたい。

参考文献:
・「三嶋大祭り」http://www.mishima-cci.com/maturi/
・「三嶋大社」http://www.mishimataisha.or.jp/
・「出雲大社」http://www.izumooyashiro.or.jp/
・「伊豆随一のパワースポット!「三嶋大社」のご利益&見どころ」https://www.travel.co.jp/guide/article/18100/
・大辞林第三版(三省堂)
・柿田川名所湧水の道 http://www.kakitagawa.net/
・icotto 心みちる旅 https://icotto.jp/presses/2860

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