見出し画像

家だとやることがチラついて湯船につかる時間が惜しくなった、でもシャワーじゃ整わない。

自宅には普通にお風呂があるものの、両親は何十年も自宅のお風呂を使っていない。
25年くらい前にお風呂場のリフォームをしたのだけれど、少なくともリフォーム後のお風呂は1度も使っていないと思う。
なぜなら、近所のお風呂屋さん(日帰り湯みたいなところ)に通いつめていたから。
選択肢のお風呂屋さんは今のところ9軒。
もうすぐ車で10分くらいの所に1軒オープン予定(緊急事態宣言中につき延期になっているみたい)なので全10軒になる。
1番近い所で車で10分。
遠い所で1時間弱。
配達や買い出しで出かける方面と、長年の「混み具合予想」により、その日に行くお風呂屋さんを決める。

墨田にいた時も気分転換に銭湯に行ったりしていたけれど、郊外のお風呂屋さんは銭湯とは違う魅力がある。
まず広さ。
それとコスパ。
サービスやお風呂の種類も多くて極楽。

私がまだ子供の頃、家でお風呂に入ると、母は自分が服を着る前に浴室内の水滴を全て拭きあげる人で。
そんなことしている間に体は冷えちゃうし、お風呂で疲れをとってもまた疲れる。
母は上諏訪出身。
このエリアは昔、各おうちにお風呂がなかった。
温泉が出るところなので共同浴場が至る所にあった。
広い湯船が当たり前だったから、家のお風呂じゃ狭苦しかったのかもしれない。

ひとりで暮らしていた頃のお風呂タイムは2時間くらい。
まずは全身のマッサージ。
テレビの仕事があるので録画しておいて、お風呂テレビでチェック。
湯船のフタを閉めて、中で気持ちよく歌う。
私にとって、文庫本はお風呂用なので、本も読む。
お供はCLAYD。
大好きな入浴剤。
飲めるぐらいナチュラルな泥100%。

これに出会う前、何百種類もの入浴剤を試してきたけどCLAYDに出会い、手持ちの入浴剤は残らず全て人にあげたり手放した。
CLAYDを使うと、「肌だけでなく、体の調子が良いぞ」が覿面で。
まず、体の温まり方が全然違う。
お風呂を出た後のポッカポカの持続力も。
デトックス感も実感として他のとは全然違い、体がスッキリ軽やかに。
もともとひどいアトピーだったので、何かに反応するとすぐ痒くなったり、ガッサガサゾーンが出現したりするのだけれど、CLAYDは1発。
肌がふっくら元気になって、毎日体をリセットして整えてくれるというような。
強い味方。
体感でピタッとくるし、ちゃんと知ると「こりゃ、もはやひとつの学問か」っていうぐらい裏打ちされた根拠がありハマった。以来、CLAYD一筋。

お布団干しでバッチバチに静電気と戦う今こそジャンジャン使いたいのに。

実家に帰ってから「ゆっくり湯船」という日が1日も取れず、30分ほどのシャワーで精一杯。
いつの間にか、私も母と同じで、お風呂のあと服を着る前に浴室内の水滴を拭きあげる人になっていた。
マンションのお風呂は窓がなく、湿気が全部部屋に流れてくるし、カビとか生えるとお掃除も大変だし、何より自分ちのお風呂場でカビとか発見したくない。

父は、母が亡くなってからも一人でお風呂に出かけていく。
時々は私もくっついて行くようになった。
時間にするとどっちもどっちなんだけど、「家を離れること」で、頭にチラつくいろいろに諦めがつく。
父は3時間は入るのだけど、私はせいぜい1時間。
休憩室で仕事をしながら父を待つ。
お風呂屋さんに行くのは、別の意味で正直まだきつい。
帰省すると必ずどこかのお風呂に行き、必ず母と一緒だった。
背中の垢すりしてあげたり、肩をマッサージしたり、お風呂そっちのけで喋りまくったり。
一人で入ると手持ちぶさたというか。
「あれ?そうか、母がいない」がドバーッと押し寄せてくる。
湯船につかりながらジャージャー涙止まらなくなる。
それでも「このお風呂ではあんな話したな」とか思い出したり。

選択肢は多い方がいい。
お風呂掃除したくないって時は、お風呂屋さんのサービスを享受して。
体がCLAYDを欲する時は、来客も電話も仕事も家事も気にせず家で湯船につかる。
マンションはインターホンを気にせず暮らせて良かったな。
戸建ては「あ、お風呂なのね」ってお湯の音とかでわかるから落ち着かない。
換気ができる窓がついているのは利点だけど、入っている時に人が通る気配とかやっぱり落ち着かない。
早く慣れて、どっちも気負わず選べるようになりたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?