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なにが「秋になると寂しい」だ

体調が悪い。

2週間以上も体調が良くない。どう良くないかというと、お腹が空くのに気持ちが悪い。首や肩にかけて重たく、頭が痛い。吐き気というほどでもないが胃のムカつきがある。しんどい

とはいえ2週間ずーーーっと毎日そんな日かというと、そういうわけでもない。基本的には昼寝をしなければ身体が持たない日が多いのだけど、たまに一日中動ける日もある。1日のうち午前中だけは動ける、みたいな日もある。逆に1日中起き上がれないこともある。気圧やら天気に左右されているようにはあまり思えない。心配事はある。しかし、晴れてるのに出かけないなんてもったいないとか思うんじゃなくて、あー天気のいい日の昼寝は最高とか具合悪いながらもそんな事を考えながら、ただただベッドに横になる生活を続けている。


秋だ。
秋を代表する甘い匂いがするようになった。
金木犀である。初めて嗅いだときは感動したし、花の前で深呼吸したりしたこともある。けど、今は正直、くさい。開花前にふわっと香るくらいは好きだけど、満開の金木犀の香りは脳にクる。吐き気もしてしまう。マスクがあってありがたい、と思う。体調の悪さもあってなのか、はたまた花粉のように一定量の香りを嗅いでしまってアレルギーのような症状になっているのか。いや、金木犀アレルギーなんてあるのか知らないけど。でも、金木犀の香りが好きな人の前で「あのニオイくさい」と言うより「わたし、金木犀アレルギーなんです」と言えたほうがお互いに傷つかないから、あったら便利な気がする。

「秋になるとなんだか寂しいなぁ〜」

私が中学生くらいの頃、父がいかにもさみしそうにそう言っていた。思春期&反抗期の私は、なにが寂しいなぁ〜だ、全然共感できない、秋の良さをなんにもわかっちゃいないんだあいつは、なんて思っていた。

そんなことを思い出して、まあ思春期で反抗期なら、父親に共感なんてできないよな、と思ったのだけど、じゃあその頃の私も父と同じように秋に寂しさを感じていたかと言うと、案外そんなことはなかったかもしれない、と気づいた。いまは寂しく感じるのに。

なぜだろう。おとなになると秋が寂しくなるシステムでも備わっているのだろうか。とはいえ、夏の暴力的な暑さと日差しと湿度に戻りたいわけではない。日が沈むのが早くなるのはなんだか寂しい気がする。でもそれだって、ちゃんと毎年決まってそうなるわけだし、インターネットで調べればその日の日の出と日の入り時刻だってわかるものだし、でも、頭ではわかっていても、体感がそうさせてくれないんだろうな。こないだまでは明るかったのにな、みたいな気持ちになってしまう。

そういえば、私の地元は雪が降る。雪が降ると寒いのだけど、街灯のオレンジの光が雪に反射して、とても暖かい広がりを見せる。私はその風景が好きだ。日が暮れるのが早くても、その明かりが視覚的な暖かさをくれる感じがする。東京の冬はただただ暗く冷たくて、夏とは反対の冷たい暴力性を持っているように感じる。

食欲の秋とか、芸術の秋とか、読書の秋とかいうけど、それは夏が終わって寂しいけどさ、せっかく涼しくなったんだしなにかいろいろやろうよ、みたいな大人の知恵なのかもしれない。まあ今の私は絶賛「体調不良の秋」なんだけど。


なにか、秋の楽しみでも見つけて乗り越えたいな。
子どもの頃は別に「乗り越える」なんてものではなかったのにな。
部屋の明かりを暖色にでもしてみようか。


そういえば、まだツクツクボウシが鳴いていた。おまえらもさみしいか?


くらむぼん



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