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#2 「サラバ!」を読んで

GWの2日間で西加奈子さんの「サラバ!」文庫本の上中下巻を一気読んだ。まだ読後間もないうちに感想を残しておく。
オードリーの若林さん経由で西さんの存在を知って、なんてかわいい人なんだと思っていた。「僕らの時代」とか「オードリーのオールナイトニッポン」とか「ご本、出しときますね」とか。初見で見ると、タメ口でちょっと生意気そうに映るんだけど(すみません・・・)どの媒体でもかわいい関西弁で、どの人にもニュートラルに接する西さんは、「サラバ!」でいうところの須玖のような感じ。明るくて人気者で、でもどこか他とは違う感じ。明るい世界の人とも話せるし、闇を抱えた人とも馬鹿にしたりせずに、話せる感じはまさに、須玖や鴻上のよう。そういう人を尊敬しつつも眩しく見えてしまう主人公の歩の気持ちはよくわかる。

西さんのことはよく知っていたのだけれど、大人になってから小説を読むことが減ってしまって、(自己啓発本やビジネス書とか、仕事に直結する本ばかり見るようになっていたので)西さんの本を全く読んだことがなかった。今回、会社の先輩が貸してくれたので、GWをきっかけに一気読みした。なんで貸してくれることになったのか、忘れてしまったけれど、今の私には、今読むべき、とてもよい本だった。
印象に残ったところをいくつか。

自分の担任の先生が、自分の家で顔を真っ赤にして酔っぱらっているのだ。僕たちは早々に、教師は「教師」という生き物なのではなく、「教師になった人」なのだと知ることになった。だからなのか、先生たちは皆、僕たち生徒を大人扱いしてくれた。(中略)大人に真剣に相談されたら、子供はたいてい嬉しい。そしてその信頼に応えようとして、必死で自分の頭で考え始める。だから日本人学校に1年もいれば、大抵の子どもたちは大人びてゆくのだった。(上巻)

こういう感覚、子供のころにも感じていたけど、ちゃんと覚えてこないと忘れてしまいそう。自分を子供扱いしている大人と私として扱っている大人ってなぜか子供は見抜いている。子供は子供なんだけど、何も知らない無垢な、純粋な子供という感じ。

「逃げ道みたいなもんやったんかも。」あるとき、どうしてそんなに詳しくなったのか、と訊いた僕に、須玖は答えた。(中略)そんな中で本読んでたら、なんやろう、この世の中にこんな世界があるんか、って驚いて。家の中で本開いてるだけやのに、一気に別の世界に行けるやん。」(中略)「小説だけやない。音楽も、映画もそうやねん。」(中略)「今俺がおる世界以外にも、世界があるって思える。」(中巻)

この本を読んでいるときにまさにそう思っていたので、そんな感覚をこんなにキレイに言葉に表してくれて、西さんは読者のことをよくわかっているなぁと思った。この本を読んでいるときそんな感覚になることが度々あったから、西さんは本当にすごい!そしてこのシーンの須玖はめちゃくちゃかっこいい!

姉は飢えていた。小さな頃から、あらゆるものに飢えていた。(中略)「愛されない」と思うことを、「足りない」と飢えていることを、姉が自分のせいにすることはないように、(中略)「あの子には、自分で、自分の信じるものを見つけなあかん、て言うたんや。」(中巻)
「いつまで、そうやってるつもりなの?」(中略)僕には分かっていた。僕だって、そう思っていた。自分hsいつまでそうしているつもりなのだろうか。自ら為すことなく、人間関係を常に相手のせいにし、じっと何かを待つだけの、この生活を、いつまで続けるつもりなのだろうか。(下巻)
「歩、すごく揺れているように見えるわ。」「揺れてる?」「そう、揺れてる。歩には芯がないの。」(中略)「私が信じるものは、私が決めるわ。」(中略)「あなたも、信じるものを見つけなさい。あなたただけが信じられるものを。他の誰かと比べてはだめ。もちろん私とも、家族とも、友達ともよ。あなたはあなたなの。あなたは、あなたはでしかないのよ。」(下巻)
僕の好意さえ、誰かに監視されたものだった。みんなが見て羨ましがるような女か、恥ずかしくない女か。(中略)僕は自分の何も信じていなかった。僕は自分の周りにあるものばかりを信じた。その真理に寄り添い、おもねり、自分の感情を無視し続けた。(中略)僕は自分が嫌いだった。大嫌いだった。(下巻)
新しい世界が始まる。
最高の気分よ。

後半にかけての主人公・歩がどんどん落ちていって闇の中にハマっていくのは、読んでいてツラい。こういう感情をわざわざ言葉にして文字になっているのを読むのは恥ずかしい。歩には幸せになってほしい・・・と思って読んでいた。自分で自分の嫌な部分に向きあわざるを得ないのは、つらいよね。

「サラバ!」の中で大きなテーマになっている「信じる」ということ。それが心の安定につながるという考え方にはとても共感できる。
私にはまだ、「信じる」ものがないのでまさに「揺れている」のだが、別の記事で西さんが語っていることがとてもいい考え方だなと思ったので、最後に残しておこう。

私は、歩君の言う「神様」みたいなものを得ていて自分を信じているし、それはいろいろな人との出会いのお陰だと思います。お姉さんの貴子と一緒で「信仰」は自分の中にあるものだと思っています。祈ることも信じることも自分がいないとできない。自分がいなかったら神様もいないわけです。私自身は無宗教と言っていいですが、バチが当たるという感覚があって、それって何なんかなと考えると、神様というより自分の中の〝善き人間〟でありたいという思いを信じている。それを『サラバ!』にも込めました。(著者との60分「新刊ニュース 2015年1月号」より抜粋)

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