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5章 3度目の正直

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 メールで送られてきた講座の申込書を見てまろみがひぇーっと声を上げた。
「蔵子さん、この永井由美子さんって、確か三度目の申込ですよ」
 由美子は初回の講座では、パーソナルメイクの、「なりたい自分のイメージを考える」で挫折した。
 二度目は、「どういう暮らしがしたいのか」を思いつけず、考えてきますと言って姿を消した。そして三度目である。
 このように途中で挫折する人も時々いる。

 中高年の女性が余分な荷物を捨てるということは、今までの人生や暮らしを清算するということであり、つらいこともある。
 しかし、自分の新しいイメージを想像できなければ先へは進めない。
この段階を乗り越えられなければ、すっきりした暮らしや人生を手に入れるのは難しい。
 真剣に取り組もうという人ほど、この段階で悩む。

 蔵子は、由美子が今度こそ過去の自分という壁を乗り越えて、新しい暮らしを始めて欲しいと願っていた。
 講座の受付に現れた由美子は、以前はボサボサだった眉をきれいに整え、なめらかなアーチの眉を描いていた。それだけで顔立ちがはっきりして、変化のあとがうかがえた。
まろみも気がつき、声をかけた。
「由美子さん、きれいになったみたい」
由美子は照れたように言った。
「すみません。三度目なんて、わたしだけじゃあないですか」
蔵子は名札を渡しながら答えた。
「そんなこと気になさらないでくださいね。それより、参加していただいてうれしいです」
「ありがとうございます。今度こそ、最後までやり通して、すっきりしたいと思っているのです」
 由美子には、今度こそ挫折しないという意気込みが感じられ、受講仲間と情報交換をし、励ましあいながら、無事講座を修了した。

 講座後の感想
 三度もお世話になりありがとうございました。
 わたしは両親が年を取ってからできた一人娘でしたので、甘やかされのほほんと暮らしておりました。
 たくさん見合いもしましたが、両親が急いで嫁にいくことはないと申しますし、背が低い人はイヤ、お姑さんとの同居はイヤなどと言っているうちに、気がついたら独りになっていました。
 両親は家と少しばかりの財産を残してくれましたし、長年、経理の仕事をしてきましたので生活に困ることはありませんでした。
 趣味といっても、娘時代から続けてきた、お茶、お花と、ひとりで映画を見に行くことくらいです。
 こう書くと、なんと味気ない人生かと思われるでしょうね。
 毎日、同じ仕事、同じ生活の繰り返しで、それが当たり前のことだと思っていましたし、疑問を感じることもありませんでした。
ところが、定年が目の前にちらつくようになって、自分がこれからどうすればよいのかわからなくなりました。
 両親の荷物も片付かない家で、夜ひとりになると不安になって、いてもたってもいられなくなりました。
  そこで、この講座に参加しましたが、自分がこれからどうしたいのか、どうなりたいのか、さっぱりわからず、泣きたくなりました。
  他の人はこうしたいという希望を持っておられるのに、わたしには何もなかった。
  自分の人生はなんだったのだろうと考えたとき、とても虚しくなり、講座に行こうとすると胃が痛くなりました。
 二度目の時はどん底まで落ちました。
 でもその後、いろいろ考えたのですが、結局、誰も私を責めているわけではないし、悪いことをしたわけでもない。
 これはなんだろうと思った時に、山登りのイメージが湧きました。 
それなら、苦しいのは当たり前。
 一度でいいから、頂上に登って充実感を味わえればと思うと元気が出て、もう一度挑戦しようと思いました。
(他の人とっては、たぶん、日帰りのハイキングコースなのでしょうが、私にはエベレストでした)
 会社は先月で退職しましたが、来春から経理の学校で若い人に簿記を教えることになりました。
 家の方も両親の荷物を整理したら、私には広すぎるので、売却し、こじんまりしたマンションを買って住むことにしました。
 三度目の正直? (苦笑)で、私も「新しい人生」が始められます。
 ほんとうにありがとうございました。
  ところで、今度お食事でもご一緒にいかがですか。
                                今井由美子
 蔵子は感想を読みなら、どん底を体験した人は強い! と確信した。

5章 終

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ひとり暮らしの老前整理® (13)


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