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遅刻魔的には、無遅刻無欠席はもっと称賛されるべきだと思う




今日、たまたま、こんな記事を見かけた。

就活では、「無遅刻無欠席」だけでは弱いらしい


自分は社会人になって4ヶ月目だが、正直「無遅刻無欠席」は守り通すのが本当に大変だった。
なのでこのタイトルを見た時、「いや、無遅刻無欠席は凄すぎる。強みだろ。」と思った。

内容を読んだところ、このような事が書いてあった。

「私は真面目です、だけでは〈私の強み〉にならない。(中略)真面目を自己PRするならば、他人(友人、家族)や組織(部活、ゼミ)とのかかわりの中で、自分の真面目(な行動)がどう生かされているか、どう評価されているか、そこまで考えて話さないと、真面目さのよさが相手に伝わらない、理解されにくいということです」

つまり就活で「真面目さ」や「無遅刻無欠席」をアピールするには、もうひと手間工夫がいるという事だ。

真面目、無遅刻無欠席、これらの人達は優等生タイプ、つまり「言われた事を忠実にやり遂げる」能力が高い子が多いと想定すると、確かにひと手間加える、というオリジナリティを入れる要素が苦手な人が多いのかもしれない。

それでも、無遅刻無欠席は凄い事

でもこの記事を読んでも、自分は無遅刻無欠席は本当にすごい事だと本当に思う。

行きたくないときも、交通事情に問題があったときも、きちんと時間を守り、登校した。それをずっと続けた。病にもかからず、登校し続けた。
それをできる自制心(というか、自分をコントロールする能力)が小さい頃から高いということなんだろう。

明日朝起きて学校に行くために、自分が前日夜何をしなければならないか、何時に寝なければならないか、そういうことを何となく計算しているんだろうか。もしそういう事も全くやらずに、継続できる人がいたとしたらそれは天性の才だから、本当に誇っていいと思う。

未だに「毎日登校」「毎日出勤」が大嫌いな自分

自分は齢23ながら、まだその域に達していない。

というか、高校卒業まで毎日遅刻をしていたし、半分不登校状態だった。
毎日登校する為には、夜事前にやる事を終えて、適度な時間に睡眠をとらなければならない、そんな当たり前のことに気が付くのに20年弱かかってしまった。

朝起きて学校に行くために必要な、人が通常持つ自制心を持つまで、ものすごい遠回りをした。その過程で心の健康、時間、視力、歯など様々なものを失った。ほんとうに不出来な人間だった。親や先生、友人に沢山迷惑をかけた。
社会人になっても、なんとかギリギリ、毎日出社している状況だ。

最後に、時間管理が苦手な人へ

無遅刻無欠席、過小評価される傾向にあるが、一カス人間から申し上げると、本当に素晴らしい事だと思う。努力の結晶だ。これが出来ている人は無条件に尊敬する。もっと称賛されるべきだ。

そして不出来な人間側の人々、この世界は本当に朝が弱い人や時間管理が苦手な人に対して辛辣で厳しい社会だ。心中お察しする。
しかし道は必ずある。
自分は今何とか無遅刻無欠勤4ヶ月達成まで後2日となった。達成したらプチパーティを行おうと思っている。
生きづらい世の中だがお互い頑張ろう。