平成30年の歩み
令和になった2019年にFacebookで平成を振り返る投稿が流行っていて、私も書いていました。noteに記録しておくために、リライトします。
平成元年(1989年)32歳
念願のシンセサイザーの設計(私は当時、楽器メーカーの設計におりました)に加わることができました。11月9日へのベルリンの壁が崩壊したニュースは衝撃的で冷戦終結に歓喜したのです。(今となっては、冷戦終結はうやむやですが)
平成2年(1990年)
シンセサイザーに続いて電子オルガンの音作りの仕事をしていました。音作りとは電子楽器用に楽器の音を一音一音録音して加工する仕事です。バンジョーの音を録りに、米国ナッシュビルまで出張したり、学生オーケストラの音を録りに、ロンドンに出張したり、飛び回っていました。
平成3年(1991年)
バブル崩壊。崩壊前に値上がりすると言われて買った家に引っ越しました。バブルが弾けて不動産は値下がりし、この家はその後、3分の一の価格で売却することになりました。
平成4年(1992年)35歳
突然新規事業プロジェクトに異動しました。上司と二人だけのプロジェクトでした。音作りの仕事はここで終了しました。新規事業の提案を作るために、調査したりヒアリングしたり、あちこち出張していました。重役に提案をプレゼンしましたが、次の指示はなく、1ヶ月間やるべき仕事がなくなって、定時退社の日々が続きました。やる事がないので調査と称してパソコンゲームを試していました。
平成5年(1993年)
新設のコンピュータミュージックの部門に異動しました。パソコン用の音楽ソフトウェアの開発を担当することになりました。
平成6年(1994年)
初心者向け簡易作曲アプリの開発を担当しました。
平成7年(1995年)
パソコン用カラオケアプリを企画・開発しました。Windows95が発売になり新しいパソコンのバンドルソフト(付属ソフト)として採用されました。この年は阪神淡路大震災(1月17日)、地下鉄サリン事件(3月20日)が起きた年です。
平成8年(1996年)
パソコン用アプリ開発の絶頂期。製品化のリーダーとして調子に乗っていた時期です。
平成9年(1997年)40歳
父が実家で老老介護していた母が亡くなりました。死に目には会えませんでした。
平成10年(1998年)
アプリ開発は続いていましたが、仕事への熱が冷めつつあった時期です。
平成11年(1999年)
作る仕事からチームを管理する仕事に変わりました。やりがいがあったのですが、一人空回りして成果が出せませんでした。悩んで、異動や転職も考えていました。
平成12年(2000年)43歳
ネットビジネスの新規事業プロジェクトが始まり、メンバーが社内公募されました。公募に申し込んで、採用され、東京へ単身赴任することになりました。一方、母を追って父も亡くなりました。
平成13年(2001年)
家族も引越してきて、単身赴任は終了。ネットカラオケサービスを公開しました。この年は米国911同時多発テロ(9月11日)の年です。
平成14年(2002年)45歳
ネットショップで専売商品を企画・販売して成功しました。ネットビジネスが面白く、日々ワクワクしていました。
平成15年(2003年)
オンライン音楽教室の実験サービスを始めました。初めて外部セミナーで音楽コミュニティについて講演しました。それ以後何度か講演する機会を得て、人前で話すことができるようになりました。
平成16年(2004年)
mixiがサービスインしました。リアルタイムに他の人からの反応がある仕組み、まったく新しいオンラインコミュニティの仕組みに魅せられました。それを真似て音楽コミュニティサービスをリニューアルしました。SNSが広がっていきます。
平成17年(2005年)
ネットビジネスプロジェクト混迷の年でした。新規事業の軌道のせはなかなか難しいのでした。
平成18年(2006年)49歳
ネットビジネスプロジェクトは終了となり、会社のホームページを統合リニューアルする部門が新設されて異動しました。
平成19年(2007年)
商品データベースに基づく商品サイトを公開しました。iPhoneが発売されました。
平成20年(2008年)51歳
会社のセカンドライフセミナーで定年後起業を考え始めました。
平成21年(2009年)
グローバル統合サイトを公開しました。リーマンショックの年です。
平成22年(2010年)
ソーシャルメディアプロジェクトができて、FacebookやTwitterの企業アカウントの運用を始めました。国内営業部門も兼務となり、日本のグローバルサイトへの統合を担当しました。
平成23年(2011年)54歳
「ブランドサミット」と呼ぶマーケティング業界の合宿セミナーに参加し、多くのマーケティング担当者との人脈を獲得しました。ここでできた人間関係はその後の力となります。会社ではCRM(カスタマーリレーションシップマネジメント)が担当テーマになりました。
この年は東日本大地震(3月11日)が起きた年。友人が急死したり、賃貸していた元実家の住人が亡くなっていたり、スティーブジョブズが亡くなったり、いろいろな事があった年です。
平成24年(2012年)
販売代理店と共にCRMの勉強会を開始しました。
平成25年(2013年)56歳
国内販売会社に出向となりました。デジタルマーケティングを担当します。
平成26年(2014年)
オウンドメディア(自社で運営する媒体)をリニューアルしました。編集の仕事は子どもの時からの憧れだったので、とても嬉しかったのです。
平成27年(2015年)58歳
ファイナンシャルプランナーに相談して、ライフプランを作ってもらい、起業を具体的に計画し始めました。
平成28年(2016年)
会社の新年度キックオフ大会で「ドラムサークル」を企画し、パーカッションプレーヤーのペッカーさんに出会いました。ドラムサークルとは、参加者が輪になって打楽器を即興で演奏するアンサンブルです。その魅力に取り憑かれ、ドラムサークルファシリテーター協会主催のドラムサークルイベントに参加しました。
CRMの成果として会員サービスをスタートしました。一方、自治体主催のシニア起業スクールで学び、起業の準備を始めました。
平成29年(2017年)60歳
定年ギリギリまで興味深い仕事ができたことに感謝しています。退職後マーケティングコンサルタントとして起業しました。
平成30年(2018年)
分析・コンサルティング会社のパートナーとしてコンサルタントの仕事に関わりました。学ぶことが多くて感謝です。
平成31年(2019年)
音楽・リズムを使う研修プログラム「トレーニングビート」の認定トレーナー資格を取得しました。これが現在の仕事につながっています。
昭和がもてはやされ、失われた30年と、平成は残念なレッテルが貼られているけれども、こうして私の平成の30年を振り返ると、激動のサラリーマン時代でした。
●参考
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