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#003 | 美術準備室

大学を中退して専門学校に通っていた時のこと。
学校の四階にはデッサンルーム、そして美術準備室があった。

このフロアでの噂は以前から絶えなかった。
一人で準備室に入ると天井から手が垂れ下がってくるとか、床に小さな水溜りができるとか、内容もさまざまだ。

学内で初めて行われた文化祭イベントでは、この準備室で幽霊屋敷が催されたが、天井から垂れた手に髪の毛を掴まれたという生徒が相次ぎ、半日も経たないうちに中止になってしまった事がある。
口々に「四階だから」と不吉な数字に重ねて話していたが、あまりに安直すぎて正直、馬鹿馬鹿しいと思っていた。

授業が終わった午後八時すぎ。
デッサンの課題を仕上げなければならないため、美術準備室に残しておいた作品を取りに行った。

フロアには誰もいない。
早く済ませようと、準備室の棚から自分の作品を探していた。
引っ張り出した作品を準備室のテーブルに置こうと中央へ移動した時、突然、真っ暗になった。
しかも、美術準備室だけでなく、デッサンルームの電気も消えたようだ。

「停電かな?」
一瞬で視界を失った私は、出口がどっちにあるのかもわからない。
床に這いつくばって、しばらく目を凝らした。
なかなか暗闇に慣れず、少し焦りを感じる。

準備室の噂話が頭に浮かんだ。
聞いた時は馬鹿にしていたが、この状況ではやはり背筋が寒くなってくる。

フロアのどこかで音がした。

ひた……ひた……ひた……

足音のようだ。
こちらに近づいてくるのがわかった。
「ごめん! 誰かわからんけど電気つけてくれへん?」
私は声を張り上げた。フロアに響き渡るが反応はない。

ひた…ひた…ひた…

耳元を何かがかすめた気がした。
視界に薄く部屋の中が映りだした。
出入口がわかったが、誰もいない。

今度は、スッと髪の毛を触られた感覚があった。
気がつくと目の前を遮るように細長い影が視界を邪魔していた。
とっさに手で振り払った。
ぬるっとした湿り気のある冷たさが伝わり、一気に鳥肌が立った。

……ひた、ひた、ひた。

耳元で音が止んだ。

目線を頭上へ向けた途端、また真っ暗になった。
じっと見つめていると少しずつ形がはっきりしてきた。暗闇の中から浮かび上がる輪郭を見て、驚きのあまり勝手に身体が震え出した。

鼻先数センチのところまで接近した、女性の顔がそこにあるのだ。
一重瞼の死んだような瞳が私を見下ろしている。

腰を抜かして倒れこんだ。視界が少し広がる。
天井から蔦のように垂れ下がり、細長い腕が床まで延びていた。

必死に奥歯を食いしばったが身体が動かない。
絶えられなくなって目をつぶろうとした時、急に部屋が明るくなった。
硬直したまま出入口を見ると、同じクラスのD君が入ってきたところだった。

「どうしたん? 電気もつけんと」

周りを見回したが、もう何もなかった。

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