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#008 | 映画撮影_のれんの奥

専門学校に通っていいたころ、映画を撮っていた同級生のT君に触発されて私もチャレンジした事がある。

とはいえ、あまりスケールの大きいものだと何かと費用もかかる。そこで、比較的制作しやすい短編を作ってみることにした。
ただ、映画制作のプロセスをほとんど知らなかった私は、結局T君に監督や撮影をお願いして、自身は脚本を書くことになった。

T君からホラー作品の方が筋を考えやすいとアドバイスを受けていたので、ストーリーは自宅でネットをしている女の子が心霊現象に遭う、という単純な一編を書いた。タイトルは『霊現象』という。

出演者は、当時一緒にアートチームを組んでいた相方のMさんに頼んだ。また、撮影場所も彼女の自宅を家族が帰省する日の夜だけ借りれることになった。



撮影当日。
昼間の間に学校などから機材や備品を調達し、T君と撮影補助を務めてくれるK君、私の三人で夕方にはMさん宅にいた。年季の入った一軒家の二階建てで、私は度々遊びに行っていたので雰囲気を知っていた。初めて来た二人も今回のロケに相応しい、と満足してくれた。

時間が限られているので、私たちは簡単な打ち合わせを済ませて、すぐ撮影に入った。

まずは、二階の部屋でMさんがネットをしているシーン。
部屋の電気を消すと、暗闇にパソコンモニタの光だけがぼうっと浮かび上がる。モニタの光に照らされて、床にMさんの影が薄く出来上がった。
それと同時に部屋の隅にも大きくゆらゆらと動く靄が見えた。

最初は光の加減でたまたま何かが反射しているのだと思っていたが、よく見るとそうではない。

巨大な女性の顔。

それはちょうどカメラの死角で、痩せ細った女性が何かを訴えるように口をパクパク動かしているのだ。
壁一面を覆うほどの大きさだが、ぼやけていてはっきりと顔がわからない。目を背けたいのに、意識が自然とそちらに集中する。

突然、パッと部屋が明るくなって、我に返った。
部屋のシーンの撮影が終わったようだ。
さっきまでの緊張が解けて私はゆっくり息を吐いた。

よほど暗い顔をしていたのか、演技の出来栄えを気にしたMさんが声をかけてきた。
「さっきのシーン、だめだった?」
まったく上の空だったが、私は作り笑いをしながら「大丈夫。次いこう」と促した。


次は、異変が起こった二階の部屋から一階に逃げるシーン。
臨場感を出すため、Mさんの後ろからカメラで追いかけることになった。
イメージを掴もうと私も二階に上がる。

階下を見下ろすと、横に走る廊下と奥にある台所の入口が半分だけ見えた。
廊下の電気しかつけていなかったので、台所は真っ暗だ。入口にドアはないが紅い綺麗なのれんがかかっている。

私の合図で、再び撮影が始まった。
Mさんが一気に階段を駆け降りていく。
カメラを持ったT君がそっと、しかし素早く後を追いかける。
降りたところでワンカットが終了。
Mさんにもう一度同じ事をしてもらい、次は階下でK君がカメラを構えた。


こんな撮影の後、次のシーンで主人公がどこに逃げるかという話になり、T君と私で少し口論になった。
場に少し重たい空気が流れ、私たちは一階の廊下で暫く押し黙って考え込んでいた。

神妙な面持ちの中、思考を巡らせながら私は視線を泳がせた。
ゆっくりとみんなの顔を見回して、のれんの横に立っていたK君が目に入った時、私は思わずもらした。

「顔が……」

「えっ?」

MさんとK君は、訳が分からないといった表情だったが、T君は大きく目を見開いていた。
K君の顔と一緒に台所の入口が視界に入った時、彼の背後にもう一つ顔があった。

顎が極端に細く蒼白い肌の老婆が、口をパクパク動かしながら私を見ているのだ。

のれんから顔だけを突き出して、身体があるのかさえ定かではない。
頭の中で、さっき見た巨大な顔と人相が一致する。
その瞬間、老婆の顔はスッとのれんの奥に引っ込んだ。

三人が私の様子をじっと窺っていたので「いや、何でもない」と、首を振った。
結局、展開が決まらなかったので、撮影は日を改めることにした。



後日、T君と世間話をしていたら、この事を聞かれた。

「あそこに何かいたんやろ?」

T君の一言で、あの老婆の顔を思い出して背筋が凍る。
私は返事をしなかったが、T君が続けて言った。

「僕にもちらっと見えてん。あの婆さん…」


この言葉で、私は撮影の中止を決めた。
一本の素材テープだけが、手元に残った。


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