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電子ロケットの手紙

 〇〇先生、ご無沙汰しております。
20XX年、二回生の頃に△△大学で先生の講義を受けさせていただいた、××と申します。
お元気でしたでしょうか。
本当に早いもので、その時からもう10年近くも時が流れてしまいました。
先生は現在も大学との縁が続いていらっしゃるのでしょうか。
数多の学生と出会ってきたことと思われます、もし私のことが覚えにないとしても、どうぞお気になさらないでください。
 僭越ながら、私はお名前を口にする際にも「先生」という敬称が自然と付いてしまうほど、〇〇先生のことを敬慕し続けております。
春から夏にかけてのほんの数か月の時間ではございましたが、先生のご指導の下で学べたこと、その後の大きな財産としております。
連絡を差し上げたのは、時を経るごとに重みの増していく先生との出会いに対しての感謝の意を示したかったためです。
お恥ずかしながら、こうしたメッセージを打ち、迷っては閉じるということをこの数年の間に幾度となく経験して参りました。
今回、何度目かの試みにてようやく想いを認めることができ、私自身安堵しております。
 こうした目的の連絡であったため、これ以上続く言葉はございません。
先生の著作を通じて今後も一方的な思いを抱き続けるでしょうが、何卒ご容赦いただけますようお願いいたします。

 蛇足にはなりますが、私の現在について簡潔に述べさせていただきます。
私は現在首都圏に在住しており、片道1時間ほど電車に揺られて移動した、国家反逆を試みる者が真っ先に狙いそうな東京のど真ん中のビル群の一つで働いております。
生まれも育ちも地方で、在学中は田舎に深く根を張る一生だと思っていたのが、不思議なものです。
適度に社会人としての務めに追われる中、プライベートでは携帯ゲームのインフルエンサーのような活動をしており、考察記事のようなものを書く生活を送っております。
時折日常の感じたことを整理したエッセイめいた文章も書いており、言葉の彫琢に努める日々です。
決して無理強いするつもりはございませんが、関心を抱いていただけましたら下記の拙い文章群をご覧ください。

 最後になりますが、改めて〇〇先生への感謝の意を申し上げると共に、今後も先生が先生らしい時間を送られることを願っております。
日々ありがとうございます。
息苦しい都会の人並みの中を涼しい風が通り抜ける時季となってきました。
そちらの土地ではもう少し芯に近い部分で寒の訪れを感じ始める頃でしょう。
どうぞご自愛の上で、季節の移ろいを楽しんでいただけますと幸いです。

もし、ここまでお読みになって気分を害されることがございましたらお詫び申し上げます。
お返事等も望みませんので、不運をここで消化したのだと捉え、次にやってくるであろう幸運にご期待ください。
以上、お時間いただきまして、誠にありがとうございました。




 一つ、先生に謝らねばなりなくなりました。

私と先生の閉じた空間でのやり取りを、私からの一方向からのものとはいえ、こうして開示してしまうことを御赦しください。

私は常々、ものを書こうとする人間は、見聞きした物事、経験して感じ取った温度を、その身から切って売るように文字に起こさないといけない時があると考えます。

文字という骨のように細く脆いものに影を付けて屹立させようと、躍起になる自身への言い訳です。

同時にその矮小な存在でありながら、文字は決して他者の手によって抜けることのない楔でもあります。

保身をしながら退路を断つという背反する理由によって、自身の生活の機微から性的志向、果ては人の死までを肴とするのです。

この残酷でいてエゴ極まる思考から生むものに血が通うのかと問われると閉口してしまいますが、その是非も未だ分からずに書く者として歩を進めることにせめて罪を感じていくつもりです。

きっと先生からの赦しを得られても、答えがでない限りはどこかで報いを受ける時が来るでしょう。

ただ、罪は業であり、それには覚悟が伴ってくるものだと信じています。

楔を埋め込んできた道は二度と歩くことのできないものとして、私をどこまでも前に向かせ続ける理由としていきます。


 最後にひとつだけ弁解をしておきます。

手紙は最初から最後まで、純然たる先生への感謝と慕う念で綴ったものです。

端から都合の良いネタにしようという賢しらな考えはなかったことを申し添えておきます。

先生に一日でも多くの健やかな朝が来ることを願っています。

またいつか、お元気で。

いただいたご返事は、私だけの胸に抱えて生きて参ります。

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