銃口


#地球保護協会

 いよいよ待ったの効かなくなった民主化運動と内ゲバで破裂寸前となっていた中国共産党の天下に対して地球保護協会という外圧も加わったことが、かの国の崩壊の最後の後押しとなった。多くの死ななくてよい命が死に、多くの死ぬはずだった命が生を得た。いまだに民族間の領土紛争は燻っているが、それもテーブル上の激論に辛うじて留まっていて、贔屓目を抜きにしても生まれ変わった新中華大秦国は「平和で民主的」な政治体制を形成していったと言える。
 そんな国の首都で巻き起こった内戦とも見紛うテロ事件は、それだけに、一昼夜もせずに世界中の注目の的となった。
 その日ファンは、肩に下げた突撃銃を初めて重いと感じた。これまでこれを持たない日はなかったし、祖国に仇を成そうとする者を空想しては、そこに訓練用の標的を重ね断固として引き金を引いてきた。その時に胸に燃えていた若き正義感は張子の虎だったと気がついた時が、彼が真の虎になるかどうかの決断を迫られた時でもあった。
「死ね! 退化主義者供! 進歩文明万歳!」
 捕らえられたテロリストが捕虜として一時的に拘束されたのは市内の小学校だった。ファンは私立の学校に通っていたのでそこの出身でこそなかったが、しかし地元ではあったので徳の高い教育者達の名前を何人か知っていた。彼らは死んだだろうか。鉛玉は徳を見極めずに平等に人を殺めてしまう。
 子供達の学び舎からは椅子と机が退けられて、奇妙なだだっ広さを感じさせる教室に5人の人間が目隠しされたまま拘束されている。その後頭部にはいずれも中国共産党時代の名残である旧式の突撃銃が突きつけられていて、そのうちの一つはファンが構えていた。
 学校の外からはいまだに時折銃声が聞こえてくる。これほどの戦力と装備がいかにして潜んでいたのかについてはいくつかの憶測が一兵卒達にさえ流れているが、首都郊外の緑化特区の工事のために招き入れた外国人労働者に紛れていたというのが最も信頼性が高かった。
「貴様達の行為は文明の巻き戻しだ! こんな愚行は神が許しても……」
 テロリストの呪詛が最後まで言い切られるうちに、彼は勢いよく蹴り倒されて教室の床に口づけさせられた。ファンの任されている男は最も若く、その倒れこむ音に激しく動揺するのが銃を通して伝わってきた。最低最悪の気分なのはファンもまた同じだ。「なんだってそんなにビビるんだ。恐ろしいなら、死ぬのが怖かったら、こんなことはしないでくれよ! せっかく平和を取り戻したのに、巻き戻しているのはお前らだろうが!」彼は隣の戦友の表情を一瞥してみて、そこになんの動揺もないことに心底震えた。「みんな同じだ! この人たちはこの平和な国で暮らしていたはずなのになんとも思っていないのか? これからぼくらがこのクズ達を殺さなきゃならないかもしれないのに!」一文字に結ばれた彼の唇は息を吸うのも絶え絶えで、いつ体の震えのために引き金を引いて目の前の頭部をぶっ飛ばしてしまうのか気が気ではなかった。セーフティは上官の命令で解除されていた。
 いま、ファンの装着した視界拡張レンズ(EV)には無感情なフォントで「待機」の命令が青色に表示されている。そう、青色だ。訓練中にはけして見ることのない表示で、そしてごく僅かな実際の作戦中にもファンはこれが青色で無くなる時を見たことがなかった。しかしこれは、どう考えたって赤くなるのだろう。その時にどんな言葉が表示されるだろうか。考えまいとする努力は無駄だった。
 「殺せ」というのが一番あり得そうだった。しかし現実的に考えてみると「待機」が解除されてすぐに「殺せ」はあり得ないようにも思えた。あくまでこの国の軍隊は防衛力となるように憲法には定められている。今はまだ仮設軍だが憲法にあからさまに反した規格になっているとは思えなかった。同様の理由で「撃て」とかもなさそうな気がした。「待機」の逆なら「突撃」とか「行動」とかいう言葉が考えられた。それらの単語はこの状況には不適切だが、とにかく「待機」が解除された状態としては間違いではない。まさか「介錯しろ」とか「慈悲を下せ」なんて文語的表現が使われるとも思えないが。
 しかし、なんにせよ「殺せ」でないならなんでもいい気がした。「殺せ」はあまりにも非人道だ。輝かしい民主国家には似合わない物騒な言葉だ。それどころかどんな世界の憲法や宗教的規範の中にだって存在するべきではない文言に違いない。
 そうだ。「殺せ」じゃないならいい。ファンはそう決めた。そもそもこのテロリストは、いくら犯罪者とはいえ、まだ裁判を受ける権利を有しているはずだ。あるいは仲間の居場所を聞き出せるかもしれない。実際に彼らは何人か無辜の市民を殺したかもしれないが、ならばなおのこと生きて償うべきだろう。死んで責任から逃れようなど甘い道だ。責任を取るのはもっとずっと地道で真っ当なことだ。
 考えているうちにファンは、肩の緊張がほぐれていくのを感じた。「そうとも。殺さなくていい。だいいち誰がここを処刑の場だなんて決めたんだ? いま、ぼくたちは、市民と自分たちの安全のために少々野蛮な手段に訴えているが、それは仕方のないことで、他に選択肢があったなら喜んでそうしたに違いないのだから」
 再び、今度は理由もなくテロリストの一人が蹴り倒された。激しい物音とうめき声に若いテロリストはまたしても酷く怯えた様子を見せたが、ファンはもう動揺しなかった。むしろこれは正当な対応で、責任を果たすために必要な行程の一つだとさえ考えもした。ふとファンは、隣国の日本に死刑制度があった頃の話を思い出した。死刑囚は自分がいつ処刑されるかわからないので、目の前を看守が通る度に自分の罪を後悔しなくてはならないのだ。それが毎日続くことは、どのような恐ろしい刑罰よりも受刑者の精神を衰弱させたという。
 そして、何の前触れもなく青色の「待機」の表示が消えた。ファンは少しビクリとしたが、それでも次には「解放」とか「撤退」とかの文字が出ることを期待した。
そのまま次の表示が出るのを待った。「殺せ」はやめてくれと願いながら。
 それで、2秒、5秒と経った。
 いつまで経っても次の表示はあらわれなかった。時が止まったみたいな感覚。それでファンは指示を仰ごうとして隣の戦友を見た。
 彼は人の頭が西瓜のように弾けるのを初めて見た。
「ま」
 二発、三発と発砲音が続き、一瞬でファン以外の全員が引き金を引いていた。それで、ファンの見張っていた男がたちまち悲鳴を上げそうになった。
「ぶ」
 ファンは、この男がなにか叫ぶ前になんとしても殺さなければいけないという切迫した思いを抱いた。そうすることによって何かとても不都合で重大な事態が回避されるような直感をおぼえて、彼は焦り引き金を引いた。自分の中に虎を見出すまでもなく、彼は虎となっていた。
 「待機」じゃなくなったら、殺す。ただそれだけの話だったわけだ。
 たちまちファンの胸の奥に熱いうねりが巻き起こり、間も無くそれは口から勢いよくこぼれ出た。

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