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ゲーマーという人種 ソシャゲ業界のディレンマ

古今東西この世界では数多のゲームが生み出されてきた

ボードゲームのようなアナログゲーにしてもジャンルは無限大にあり、デジタルハードを手に入れてからは何をか言わんやといった感じだ

そしてこの日本では、なんだか知らないがクールジャパンとかなんとかでゲームが「文化」として売り出されているらしい

何を今更って感じだが、確かにファミコン以来の日本のゲームの進化は大きな文化的現象であったことは間違いないだろう(それを阻んだのは間違いなく今クールジャパンを売り出している連中なのは置いておく)

その名残だろうか、確かにこのデジタル後進国の日本にもゲーマーは未だに多い(今や中国のほうが多いだろうが)

今回はそんな「ゲーマー」の話をしたい


そもそもゲーマーと言っても一枚岩ではない。彼らは大別すると二種類の存在に別れているのだ

いわゆる「ライト層」と「ガチ勢」

では、彼らを分かつものはなんなのだろう?

ここには諸説あるが、一つには「クリアを目指しているか?」という要素が挙げられるはずだ

よくライト層への揶揄で聞かれることは、彼らは「楽しめればいいから」といってクリアを放棄するというものがある

とくにオンラインの対人ゲームなんかでよく聞かれることで、大抵の場合で勝利を標榜せずに自己満足なプレイを繰り返す「ライト層」は「ガチ勢」の方々にとって軽蔑の対象となっている

べつに敗北しても罰金があるわけじゃなし、ゲームをした時間が楽しめれば良さそうなものだ

ひょっとすると「非」ライト層は、楽しめるだけじゃだめなのだろうか?

ゲームプレイはあくまでクリアを前提としたものだ、というドグマを共有する者たちが「ガチ勢」なのではないかと考えることもできる

また実際に、いわゆる「ライト層向け」と呼ばれるゲームはクリアの概念がそもそも存在しないものが多かったりする

「どうぶつの森」「ねこあつめ」のようなスローライフ系が最たるものだろう

けれど一方で「ガチ勢」だってスローライフゲームを好む人はいる

「ライト層」だって対人ゲームで負けが込めば嫌になる

やっぱり、クリア/勝利を目指すか否かは本質的な問題ではないのだろう

では何が彼らの性質を異なるものにしているのか

これは長年ゲーマーの端くれとして生きてきた人間の個人的感覚に基づく推測だが、おそらく「ガチ勢」も根本は一緒なのだ

つまり、ただゲームを楽しもうとしているという点において

問題はその基準の差異なのだろう

例えば対人ゲームにおいても、普段ゲームに触れない「ライト層」はただプレイするだけでも新鮮な体験が得られるが、様々なゲームに慣れてしまった人々はただ遊ぶだけではマンネリなのだ

それでもなおゲームを楽しもうとしたら強烈な刺激、例えば「勝利」とか「やりこみ」というコンテンツを求めるというロジックになるのだろう

とはいえこれらの刺激は様々なフラストレーションを与えた後に達成するカタルシスがあるからこその刺激であるわけで、原理上「ガチ勢が求めるコンテンツ」は「ガチ勢」にしか消費できないことになる

しかし現実としてユーザーの総数としては「ライト層」が大半なわけで(なにせほとんどゲームに触れたことのない、ないしはめったに触れない人々全てが計上されるわけだから)、商売としてのゲーム開発は彼らをおろそかにすることはできない

少数の「ガチ勢」を喜ばせるために複雑なコンテンツを仕込むよりも、「ライト層」を呼び込めるポップで新しいゲームを開発したほうが何倍もの利益につながる(可能性がある)しスポンサーもつきやすい

ただし一方で「ライト層」はそもそもゲーム中心の生活をしていないので熱しやすく冷めやすい

結果として大量の「ライト層」を取り込めたとしてもそのコンテンツは長続きできない

実際に任天堂のDSやWiiは爆発的にライト層を取り込むことに成功したわけだが、べつに彼らが「ガチ勢」になることはなかった

DSやWiiのブームが去るに連れて彼らがいなくなることは必然であって、あのバカ売れした「脳トレ」の続編なんかがこれっぽっちも話題にならなかったことからもそれは伺い知れる(ゲーマーは基本的にゲームのシリーズを追う習性を持つ生き物なので、続編が出たらちょっとくらいでも話題にされるものだ)

(脳トレの続編、鬼トレ)

つまりゲームビジネスの抱えているディレンマはこうだ

・売上を伸ばすには「ライト層」を取り込みたいが、彼らはそもそもゲーマー人種ではないのでコンテンツ化が望みにくい

・コンテンツ化を望むなら「ガチ勢」を取り込みたいが、彼ら向けにコンテンツを調整すると「ライト層」に受け入れられない。加えて絶対数も少ない

ここをうまいこと(あるいはあくどく)解決したのが「ガチャゲー」とも揶揄されるソシャゲ市場だろう

ソシャゲはライト層を取り込みやすい

例えばPS4のゲームを一つやろうとしたら本体込で5万円弱となるところを、ソシャゲの大半は基本無料だ。スマホさえ持ってればいい

おまけに「ポチポチゲー」なんて揶揄されるくらいには複雑な操作も要求されない、この点も「ライト層」には優しい

余談だが「ガチ勢」のイメージの強い格闘ゲームなどは技を一つ出すのにも複雑なコマンドを要求され、しかもそれを組み合わせたコンボを、1秒単位の世界で対人ゲームとして行っている

実際に格ゲー衰退の要因の一つでもあるわけだが、これでは「ライト層」は取り込めない

そのため、昨今の格ゲーはボタンを押しているだけでもコンボが繋がるようになっていたりコマンドが簡略化されていたりする

(参考までに、これはストリートファイター5のコマンド表。実際はこれに読み合いやコンボが加わる)

話を戻そう

ソシャゲはとにかく「ライト層」を強く意識したデザインが共有されている

だがこれだけでは先に述べたようにコンテンツ化できない。継続的利益が見込めない

ここで登場するのが悪名高い「ガチャシステム」というわけだ

このガチャというやつは全くあこぎな集金システムのように捉えられがちだが、それだけの代物ではない

ガチャは「ライト層」から「ガチ勢」への架け橋になっているのだ

「ガチ勢」は単なるプレイだけでは満足できず、そこに付加価値を求めるという話だった

これもまた逆算のような話で、なんとなく楽しんでいた「ライト層」はガチャによって付加価値を強制的に体験させられるのだ

基本的にガチャで排出される高レアキャラはゲーム上で強力な能力を設定されている(例外もある)

この高レアキャラの突出した能力によって「ライト層」はゲームの中で何らかの優位を体験する

イメージしづらいかもしれないが、大抵の場合は、強力な攻撃で敵を消し飛ばせるようになるとかそういうようなものだ

これまでのゲームにおいてこのような優位は、コマンドの習得やレベル上げなど、ある程度の「やりこみ」を要求するものだった

またそれが「ガチ勢」を満足させる仕組みだったわけだ

ソシャゲはそれがガチャを回すだけで達成される

しかしその先にある「楽しみ」は概ね同じようなものだ

そもそも「ライト層」も「ガチ勢」の楽しみ方が受け入れられないわけではなく、単にゲーム慣れしていないので普通に遊ぶだけでも刺激的で、プラス、慣れていないのでそこまでプレイするのが大変でコスパが悪かっただけだ

ソシャゲはガチャを回すことでこの楽しみを「ライト層」に植え付けることに成功しているというわけである

例えばあるプールがあるとしよう

水泳をしたことがない人はただ水に触れているだけで楽しいと思える、これが「ライト層」だ

彼らはほとんど泳いだことがないからクロールやバタフライで泳ぐ楽しみを習得するよりも水辺で遊んでいるだけでいいと考える

しかし水に慣れてしまえば、もうそこは新鮮な場所ではなくなるわけで、またしばらくはプールに来ないだろう

一方でガチ勢は幼い頃から水に触れてきた水泳部とでも思ってもらえるとわかりやすいだろう

ただ水に浸かっていても満足できない、より速く、より良い成績を求めるのが普通だ

何度もプールに来て練習してくれるかもしれない

さて、もしここである科学者が「飲むだけでこのプールの中だけでは一流水泳選手のように泳げる薬」を開発したらどうだろう

それを水泳慣れしていない人々に売ってみたら

彼らは速く泳ぐ楽しみを知ることができ、きっと何度もこのプールを訪れてくれるのではないだろうか

実際のソシャゲの営業としてはこの薬の効き目が極端に短かったりとか、相場が日替わりだったりとかするわけだが、その辺りは割愛したい

所詮は例え話であるので齟齬もあるが、概ねソシャゲ業界の成し遂げたことはこんなようなものだと思っている

一見すると素晴らしい錬金術だが、ユーザーも無限に愚かしいわけではない

ガチャのもたらす体験にも限度はある

素晴らしく泳げるようになっても、そもそも水泳という競技に愛着がないなら、やがて人々は離れていくだろう

「ガチ勢」という人種は、単にゲームへの楽しみ方に付加価値を要求するだけではないのだ

彼らは、僕は、そんな理屈は抜きにして、ただゲームが好きだ

さらに言えば「ゲーム」という一つの文化そのものが好きなのかもしれない

ライターは魅力的なシナリオを創り、デザイナーが美しい世界を描き、プログラマーが精緻に法則を動かし、ユーザーがそれを全力で楽しむ

「ガチ勢」がゲームをやりつくそうとしてしまうのは、そうしないと楽しめないからというのもあるのだけど、本当にゲームが好きだからそれを最後の一滴まで味わってから終えたいと思うからなのだ


……ところでソシャゲの究極的な弱点の一つに、そのゲームバランスは際限なくインフレしていかざるを得ないというものがある

なぜかと言うとソシャゲは「続編」を出せないからだ

既にこれまでのコンテンツに大量の課金をしてもらってる以上、それを切り捨てた続編を生み出すことはあまりにもリスクが大きい

結果としてコンテンツを追加する際、横では限度があるので上に向かっていく

既に「ガチ勢」に成熟したユーザーがついているうちはいいが、それらが離れていったときに「ライト層」を再び取り込めるだけの手軽さがそこに残っているのだろうか

ある種のゲームはライトさを失わないように努力をしてはいるが、それでも際限ないインフレのループにあることは変わらない

ソシャゲ業界も巨大なディレンマを抱えているというわけだ

最後に言い訳程度に断っておくと、僕はべつにソシャゲアンチなわけではない

むしろソシャゲに結構どっぷり浸かった経験もあるし、今もいくつか並行してやっている

ただ、際限のないインフレに囚われた環境には疲れてしまったとは思う

どんなにその世界観やキャラクターに愛着があっても、もう嫌気が差すとだめらしい

アプリを開くだけでどっとやるべきことが襲いかかってきて疲れ切ってしまう

結果としてログボだけとって閉じる、そんな繰り返しだ

それよりも最近、昔やりこんだゲームをプレイするのが楽しい

当時には難解でわからなかったシナリオやイースターエッグが目についたりしてとても楽しいし、難しかった場所が案外簡単だったりもする

ちなみに最近プレイしているのは世界樹の迷宮Ⅲ(これ↓)

ゾディアックちゃんがかわいい、あとファーマーとかいうジョブがとても好き


最後まで読んでくださった方、ありがとうございます

好きな日本文化といえばゲーム!みたいなノリで書き始めたけど、べつにゲームって日本固有の文化じゃないんですよね

まあ、一番プレイしているのは(僅差で)日本産ゲームだから許してください

皆さんも良いゲーマーライフを

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