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ありのままで生きることの罪

まだ全然長く生きているわけじゃないけれど、人生のほとんどを自らの容姿に振り回されて生きてきた気がする。人は見た目じゃない、中身が大事!と喧伝されるなかで、結局私はルッキズムに白旗を上げざるを得ない。

1.永年のデブ

今でもよく覚えている。卒業を間近に控えた小学6年生の冬、夕方に友達と公園で遊んでいたときのことだ。
ブランコに乗っていると、知らないおじさんがこちらに歩いてきて、「今何歳なの?」と聞いてきた。12歳です、と答えて他愛のない世間話をした。おじさんはいつも夕方になるとこの辺を散歩しているのだという。
おじさんは私に「大きいね。身長いくつ?」と聞いてきたので、160センチくらいです、と答えた。そうすると、おじさんは言った。

「ありゃ、意外と小さかった。太ってるから大きく見えたんだね」

その言葉を聞いた瞬間に心臓がバクバクと高鳴る。背中に変な汗がぶわっと吹き出した。……またいつものやつだ。
私はいつもどおり「あはは、そうですね」と愛想笑いをした。気まずそうな友達に向かって、おじさんは「そっちのあなたはスタイルがいいね」と言って、けらけらと笑った。

もう10年以上前のことなのに、いまだにこのときのことを鮮明に覚えている。冬の西日が公園の遊具を照らして、辺りは橙色に染まっていた。こんなに綺麗な景色の真ん中で、私はすごく惨めな気持ちだった。

幼い頃から、それなりに太っていた。
小学生のときはBMIでいうと、肥満の手前ギリギリくらいの体型だった。だから、小学校では毎日のように体型のことで揶揄われたり、男女構わず「デブ」と言われ続け、いじめられていた。

それだけでなく、近所に住んでいるおばちゃんにも「いい体型をしているね(太ってるねの意味)」と言われていたし、父親にも体型のことを散々言われてきた。お正月に久しぶりに親戚に会ったときなんかは……言葉にするのもグロテスクなほど、言われ放題だった。

そのほかにもどれだけの人に体型のことを言及されたか、挙げていけば枚挙にいとまがない。

健康にはなんの問題もなかったけれど、妹が痩せ型で美人であったこともあって、幼い頃からとりわけ比較され、容姿のことを言われることが多かったように思う。

けれど、私も言われっぱなしでいたわけではなくて、物心がついたときからいつも「ダイエット」をしていた。
小学生のときから食事を制限したり、筋トレをしてみたりした(体育の時間に運動する姿を笑われたことがトラウマで、外での運動が怖くてできなかった)。
でも、結局うまく痩せられなかった。

2.肌ガチャ大敗北


中学生になると、もっと悲惨な事態が待ち受けていた。私は超絶敏感肌だったのだ。
人よりも100倍くらい肌が荒れやすくて、大量のニキビに悩まされた。妹は何しても全然肌が荒れなくてとても綺麗なのに。
私は太っているうえに肌も汚かったから、毎日毎日死にたかった。

相変わらず効果があるのかないのかわからない食事制限ダイエットもしていた。
かわいい文房具や日用雑貨を買っては、「いつか痩せて肌も綺麗になってかわいくなったら、この雑貨たちを使うんだ」と思って、引き出しの中に溜め込んでいた。
かわいいモノを身につけるには、かわいくなければいけないと思った。
(なおそんな日は訪れず、かわいい雑貨たちは日の目を見ることがなかった)

そんな私を見かねて、親がニキビに効くという洗顔スキンケアラインを通販で注文してくれて、使い始めたけれど、一瞬改善したように見えたがすぐに効果がなくなった。
皮膚科にも数年通院したけれど、こちらもあまり改善はしなかった。
あと青汁も飲んだ。何も変わらなかったけど。
正月に久しぶりに会った叔母に、「妹ちゃんは綺麗ね。くらちゃんはちょっと肌がね……」と言われて、部屋に帰って一人で泣いた。好きでこんな肌でいるわけじゃないのに。

高校生になっても、必死にいろんなスキンケアを試したり皮膚科に行ったり、食事を抜いたりいろんなことをしていたけれど、私の容姿は肌の汚いデブのままだった。

私は女子校だったのだが、この頃になると部活の関係で男子校との交流イベントが度々発生し、自分の容姿への嫌悪感が日々強まっていった。
合同練習という名の交流会でグループワークをしたときに、かわいい女子部員が他校の男子たちから「かわいい」「かわいいから全部満点!」と無限に褒め称えられる横で、私は思い出したくないほどの辛口批評を食らいまくって最悪だった。

あぁ私ってかわいくないんだなぁ、不細工なんだなぁ、としっかりと自覚した。
私の容姿が醜いばかりに、異性からも汚いものを見るような目で見られてしまうんだ。大事に扱われないんだ。この先、好きな人ができても、きっと……。
毎日消えてなくなることばかり考えていた。誰からの記憶からも忘れられて、醜い姿まるごと消えてしまいたいと思っていた。

3.失われた青春

大学生になると、大学受験のストレスで体重が少し減った。しかし、相変わらず肌が汚かった。どこから湧いてきた?というくらい、無限にニキビができる。
でも、大学生になって変わったこともあった。化粧を覚えたのだ。

これまで鏡を見るたびに落ち込んでいた、厄介なニキビや赤みをファンデーションで隠すことができるようになった。少しだけ生きやすくなったような気がした。

サークルに入って友達もできて、楽しく過ごせると思ったのも束の間、大きな問題が発生した。サークルの合宿である。サークルの合宿では、サークルメンバーみんなでお泊まりをする。つまり、女子はすっぴんを晒さなければいけないのだ。これはとんでもない死活問題だった。

もしすっぴんを晒せば、友達がいなくなってしまう&異性からも肌の汚さを揶揄われて孤立してしまうと、本気で思った(実際はそんなことは起きないのかもしれないが)。
でも、せっかく大学生になって、サークルも楽しいんだから、みんなと合宿に行きたい……。たくさん悩んだ結果、合宿には参加することにした。

ところが、参加の連絡を先輩にした直後からどんどん情緒が不安定になり、その夜は布団で泣いた。
すっぴんの汚い肌を見られたら、誰もかれも私のことを醜いと罵り、嫌いになると思った。また容姿のことをたくさんたくさん言われるのかと思うと、心臓がバクバクと高鳴って涙が止まらなかった。
結局私は夜中に先輩に連絡して参加を取り消した。

そして、以降私は卒業まで一度もサークルの合宿はおろか、ゼミの合宿にも行かなかった。
合宿の思い出話を聞いては、家で泣いた。本当は行きたくて行きたくて仕方がなかったけれど、幼い頃から容姿のことを散々言われ続けた経験がフラッシュバックして、どうしても踏み出せなかった。

4.ありのままで生きることの罪

それから、就活で激太りして、社会人になって鬱病になって痩せたりして、今。
私は相変わらず頻繁に肌が荒れるし、体重は太ったり少し痩せたりを繰り返している。鼻も低いし目の形も変だし、顔も丸いし、不細工なままだ。

あれから数えきれないくらい、ニキビに効くというスキンケアを試したけれど、結局正解は見出せていない。年齢のせいもあって多少の緩和は見られるものの、もはや体質の問題なのだと思う。
体重に関しても、毎日たくさん悩んで、食事のたびに自己嫌悪を繰り返している。

でも、最近思うのは、結局自分は「『ありのまま』の姿で認めてもらうこと」を諦めきれていないのだということだ。

今までの人生でも、おそらくもっと本気を出せば痩せられた・肌をなんとかできた、のかもしれない。けれど、心のどこかで自分の今の姿を、ありのまま受け入れてほしいと願っていたのではないか。
それはある種の甘えでもあり、希望だった。私はいつだって、私の容姿について「言及」してくる誰かに出会うたび、その人のために自分を追い詰め、責めていた。
私は自分が醜いことで、その人に何か迷惑をかけたのだろうか? きっと、そんなことはない。とくになんの迷惑を被らなくても、他人の容姿に対して「言及」してくる不躾な人間はどこにでもいる。
私の場合はその頻度が何故か多かった(ような気がする)。

本当は肌が汚くても太っていても不細工でも、ありのままの姿で生きていてもいい、と言われたかった。
肌が綺麗な痩せている美人と同じように扱ってほしかった。

しかし、現実はそうはいかない。
いくら私が願っても、現実で他人から優しく丁寧に大事に扱われるのは、いつでも肌が綺麗な痩せている美人なのだ。
迷惑をかけているか否か、はもはや関係なく、理屈も何もなく「そういうもの」なのだ。

だから、ありのままを受け入れてほしいと願いつつも、私は少しでも他人から優しく丁寧に扱われるように、少しでも容姿がマシに見えるように悩んだりいろんなことを試したりしている。
昔から容姿が原因で苦しい想いをたくさんしてきたから、少しでも丁寧に扱われてみたい。

しかし、「それならもっと早くたくさん努力して容姿を変えればよかったのでは?」と思う人がいても仕方がないくらい、私は何年もダラダラと生きてきてしまっている。
情けない、と思う。
でも、昔より肌荒れは少し緩和したし、体重も減った。痩せているとは言えないけれど、毎日少しでもマシになれるように。自己嫌悪を繰り返しながら少しずつ。

ありのままで生きることは罪なのか? ありのままで生きるということは茨の道なのか?
ありのままを諦めきれないまま、そう自分に問いかけながら、今日も容姿優位の社会に白旗をあげて生きている。

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