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《足跡》にまつわる空想

足跡の化石が好きだ。柔らかい地面を歩いた跡がそのまま地層に保存されて化石となる。素敵な偶然の重なりを感じる。

骨の化石は死を連想してしまう。噴火で死んだのか、土砂崩れで死んだのか、もしくは死んだ場所がたまたま埋もれたのか。それはそれでロマンだけど、長い眠りから無理やり起こしたような気分になる。

人類の足跡の化石は世界各地で見つかっていて、『歩いてどこかへ向かう途中』の複数人の化石が多いようだ。何万年も昔の人類、彼らはなぜそこを歩いていたのだろう。想像力がかきたてられる。

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石器を付けた槍を手に草むらを歩く。池に水を飲みにくる動物を狩るつもりだったが、何の気配もない。池の畔のぬかるみを仲間と連れ立って行く。腹が減った。ネズミでもいいから食べたいな、と言ったその口を仲間が塞ぐ。遠くに鹿の群れが見えた。ゆっくりとしゃがみ、仲間に合図を送る。今日はご馳走にありつけそうだ。

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氷河期のある日、ユーラシア大陸とアメリカ大陸には細長い氷の橋がかかっていた。マンモスを追ううちに大陸を渡ったことを彼らは知らないが、アメリカ大陸に初めての人類がやってきた。『西海岸』から『太平洋』を見る。夕日が沈んでゆく。もうそろそろ寝床に戻ろうか。前を行く仲間が見たことのない物を掲げて何か叫んでいる。貝だろうか。俺は食べないぞと笑う。

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ひどい嵐の中、荒野を幼い子供を抱えて歩く。仲間と歩いていたはずなのに、ぐずる子供にかまっているうちに見失ってしまった。風と雨の音で声も届かない。寒さと不安で震えが止まらないが、しのげる屋根は無い。このまま夜をむかえたら夜目のきく肉食獣に狙われるかもしれない。子供はずっと泣いている。泣きたいのはこっちだ。遠くの落雷で空が一瞬明るくなり、かすかに山の影が見えた。仕様がない、あそこを目指そう。

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足跡の化石に思いを馳せていると、ふと祖母の家のベランダを思い出した。小学生のときにいっとき住まわせてもらったこともある古い平屋。

そうか、あれはもう20年以上前になるのか。洗濯物を干すスペースの軒下をコンクリートにしたいということで、業者に頼んで工事をしてもらっているとき、祖母とその仕事ぶりを見学しながら『乾くまで絶対に足を踏み入れてはいけない』ときつく言われているその目の前を猫のミーちゃんが横切る。

すでに平らにならされたコンクリートにミーちゃんの肉球の跡がくっきりとついた。慌てて抱き上げたから、10歩くらいだったか。

ミーちゃんは賢い猫だった

ミーちゃんは1日のほとんどを外で過ごし、エサを食べに帰ってくる猫だった。三毛猫だけど柄がぐちゃぐちゃで、子猫の時に祖母の家の隣の畑に捨てられていたのを拾ったのだった。

狩りが得意で、朝でかけようとすると玄関に貢ぎ物のごとく生き物が並んでいることがあった。鳥、鼠、もぐら、魚、蛇、大きな蛙、コウモリ。四方が田畑に囲まれている土地に、これほど多様な生き物が暮らしているのかと皆で驚いていた。家の中に持ち込むと人間が嫌がることも理解しているようだった。

ミーちゃんがいなくなって10年以上経つ。死に顔を見せないという古風な価値観を持っていたらしく、ある日帰ってこなくなってしまったという。

残っているのはコンクリートに刻まれた足跡だけ。

いつかあの家に別の誰かが住むことになったとき、その足跡をみて想像せずにはいられないだろう。やわらかいコンクリートに踏み入る猫の姿を。

例えその想像した猫がたまたま三毛猫だったとしても、ミーちゃんのような複雑な模様の猫だとは思い至らないだろうなぁ。

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