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始まりはいつも「それは嫌」から

5〜6年ほど前から、仕事で「役職」というものを付けていただく機会に恵まれています。

5年前に初めて、今とは別の職場で働いていた時に、役職というものが自分の目の前に転がってきた時のこと。
その時は、代理という形の、期間限定のものの予定でした。

そのはずだったのですが・・・

「頑張ってくれたので、このまま役職はつけたままでやりましょう」

期限がきて、代理というものが終わった時の本社からの決定はこれでした。

なぜ、こういうことになったか。。。

思い返せば、
「これだけは嫌なのですが、それ以外のこのやり方なら応じることができます」
そういう話を、本社の方とやり続けた結果かもしれない、そう思う。

当時、その職場では、保育士不足で、シフトを回すことにも困っていた時期があります。
そんな中、新しい保育園が開園するので、自分のいる保育園から、施設長候補として人を出す計画が持ち上がりました。

ただ、自分の職場から人を出すとなると、シフトも回らなくなる上に、出すとなっても、自分以外の保育士さんはみんな20代前半。保育士経験も5年未満の先生ばかり。

そんな先生たちからも大反対がでたし、何より、自分の職場も困る。

「無理です。嫌です。」

が本音でした。

ですが、本社からの、業務命令でもあります。聞かないわけにもいかない・・・。

どうしよう・・・。本社からも候補として上がってる先生に、マネージャーが話をしにくるとも連絡も入ったり、

「嫌と言われても、応じてもらわないと困る」と何度も言われてもいました。

悩んだ結果、

「嫌だし、その本社の話では、自分の職場のこういうところが困る。無理。」
ということを細かく洗い出し
「その中でも、今の最善策として、自分の職場からは、本社の話に対してこういうことができます」
ということも、細かく洗い出して紙に書き出しておいた。

そして、話にきたマネージャーに、その紙を突きつけ見てもらいながら直談判。

結果、自分の職場からは、職員が引き抜かれることもなく、今の自分たちにできることで対応させてもらうことができました。

この話を本社とした当時、入社したばかりだった最後にお世話になったマネージャーさん。
後に、
「当時から、あなたのことは代理だけで終わらせるのではなくて、ちゃんと昇進させるべきだって言い続けてたんですよね」と教えてくれたことがありました。

その職場では、心身ともボロボロでしたが、辞めるまで、現場のトップとして、働かせていただきました。辞めてなかったら、もう少し上の役職も提案されていたところでした。←聞いた時は、流石に、もう潰れると思った。辞めて正解だったと思う。

ただ、度々、「こういうことは今の現場ではしんどいです。」を発信し続けて、
その代案を提案し続けたこと、

「嫌」から始まったことが山ほど。

この時は、現場の嫌はたくさん感じていても、自分の嫌はスルーだったりもしたのですが・・・。

たくさんぶつかって、その都度方向修正をすることができたマネージャーさんたちには、今でも本当に感謝しているし、そういう関係性を作ることができたことがありがたかったなと今は思います。

今の職場でも、「嫌」から、やりやすさを洗い出すことは多いです。
前の職場と違うのは、ちゃんと自分の「嫌」も見れるようになったこと。

自分の嫌を見ることで始まったこともたくさんあるので、また、記事にしてみようと思います。

ちなみに、自分の嫌に気付くことになった施術を、今は提供しています(笑)

マルシェでも体験できますよー😁



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