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「ときめく」とは一体なんだのだろう・・・の答え

この記事の続きです。

不用品を捨てる時には、「今の自分には合わない」という違和感を元にして捨てることができるようになってきました。

物事には反対がある、ということで、「ときめく」っていうことってなんなのだろう?

その疑問は、自分の持ち物をじっくり見ることで、わかってきたことがありました。
自分なりの答えです。

私は紅茶が好きです。
耐熱ガラスのティーポットで、いつも入れています。
そのティーポット、何年も前に、蓋を割ってしまって、蓋はシリコンのカバーを代用しています。
他にもティーポットはあるのですが、茶葉やお茶の色の見やすさ、使い心地、洗いやすさなど、ダントツにこの子が好きで、ずっと使ってます。

蓋が割れてしまってから、今まで、何度も買い替えも考えましたが、このティーポット以上に、気に入ったものが見つからず、ずっと使い続けています。

ティーポットを見ながら、今までのことを思い出した時、
このティーポットを捨てない理由は、言葉にすると「安心感」「愛着」だなぁと感じました。

はい、思っていたような「ときめき」ではなかった。

「ときめき」っていうと、正直、恋をしたような「キュンキュン」した気持ちをなんとなく思っていたのです。
だから、何年も愛用しているものに、「キュンキュン」は正直しません。
馴染む感覚や、安心感、心地よさ、そんな感じを持っています。

確かに、買ってすぐは「これ欲しかったの!キュンキュン」な感じだったけど、
時間をかけて、その物と関係を育んでいく中で、ときめきというより、馴染んでいく、心地よい相棒みたいな感覚になっていく感じ。

そうか、ときめきがわからなかったのは、「キュンキュン」した気持ちを想像していたからなんだなぁっていうことに気づきました。

なので、自分の中の「ときめく」というものは、
穏やかな気持ちになったり
やっぱりあると嬉しいなぁって感じたり
好きだなぁってじんわり思えたりするものなんだなぁということがわかりました。

ときめくという気持ちも、いろんな種類があって、変わっていくもの。
自分の持ち物を見ることから、いろんな気づきがあるものですね。


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