地元の小さな神社で、毎朝、静かに止まる時間を持つ
朝のゴミ捨ては、家族の中で僕のタスクとなっております。
ゴミ捨てに行った流れで、少し散歩をする。
リモートワークが続くなか、どうしても運動不足になるので、少しでもそれを解消しようと思って散歩をしている。
太陽を浴びるとビタミンDを生成され、風邪をひきにくくなるらしい。
朝15分〜30分、太陽光を浴びると、セロトニンが活発になり、体内時計が良いリズムになるらしい。
あぁービタミンDが生成され、セロトニンが活性化されてるなぁ、なんてことをイメージしているわけではないが、朝の散歩はいいらしい。
その散歩ルートのなかで、近所の神社に立ち寄る。
ほんとうに小さな地元の神社だが、神主さんがいて、子どもたちが神社の掃除をするとお菓子をくれるというシステムがあるらしい。
ウチの子もたまに「お菓子がもらえたー」と帰ってきたり、
「先に他の子に掃除されてお菓子がもらえなかったー」と帰ってきたりする。
そんな地元の小さな神社に、毎朝、立ち寄る。
鳥居の前でいったん止まり、一礼。
中に入り、手水舎で手を清め、本殿の前へ。
お賽銭を入れて、太い縄を揺らして、鈴を鳴らす。
二礼二拍手をしたら、手を合わせて、目を閉じる。
そこで、自分が止まる静かな時間を持つ。
後ろに誰かが待っている気配がなければ、割と長い時間、目を閉じて、手を合わせている。
その静かな時間を持つことが、気持ちいい。
自分のなかでの1つの「リセットポイント」になっている。
昔、ばあちゃんが
「毎朝仏壇の前で、みんなの名前を唱えながらお参りしてるんだよ」
と言っていたが、それを聞いた若い頃は、
「よくそんなめんどくさいことを毎朝やるもんだ」
と思っていたが、いま僕は神社で手を合わせながら、それをやっている。
自分の家族、自分の親兄弟、妻の親兄弟の名前を唱え、これまで出会った友人、仕事場の人々、SNSで出会った人たちを思い浮かべ、
今日も、自分と、そして周りのみんなにとって、良い日になりますように。
今日も、よろしくお願いします。
そんなことをイメージして、毎朝をはじめる。
いつから始めたのかは、もう覚えていないが、2020年になり、リモートワークがはじまって、朝の時間に少し余裕がでてきてからはじめた習慣。
思ったより続いているのは、続けようと思っているわけでもなく、なんとなくゴミ捨ての延長で散歩ルートに入っているから。
40歳を過ぎると、こういうこともやりはじめるもんなんだな、と我ながら驚く部分もある。
というわけで、『書く習慣』#1ヶ月チャレンジの22記事目は、まったくエモくないアラフォーの地味なモーニングルーティーンのお話でした。
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