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苦いのが好きなわけじゃない。甘ったるいのが苦手なだけ。

「甘いものはあまり得意じゃないんだ」というと、「そっかー!じゃあ、苦いものが好きなんだね!」という会話。「そっかー!」の伸ばし棒がやけに、店内に響き渡るあの感じ。甘いものが得意ではないという単純な事実を伝えることはなぜこうも難しいのだろう。

紅茶やコーヒーに砂糖をいれるイギリス式のアフタヌーンティーが広まったことをほんの少し憎む。コンビニにおいてあるほとんどのコーヒーがデフォルトで砂糖が入っている。わざわざご丁寧に書かれる「ノンシュガー」の文字。コーヒーに砂糖を入れる文化がここまでマジョリティだとは思わなかった。

コーヒーと砂糖は争ったりしない

矛盾という言葉がある。中国の商人が昔、絶対に物を破壊する矛と、ざったいに壊れない盾を売っていた話だ。両者を突き合せたらどうなるのか、という問いかけで物語がおわっていたように思われる。ここで商人代表として声を大にして言いたい。あなたは、言葉でしか事象を理解できないのですか、と。

コーヒーは砂糖を入れたからといって、苦くならなくなるわけではない。甘くなるのであって、コーヒーの苦さがカップの外へと走りだし、どこかへと言ってしまうわけではない。人間の脳が苦さよりも甘さの方を優先して認識しているから、苦さへの意識が和らいでいるだけなのだ。

世の中に必要なのは砂糖入りのブラックコーヒーではなく、カフェオレだと思う。

結局、砂糖というものは誤魔化しでしかない。無駄な争いを避ける日本人のように、ケンカを両成敗させるように、問題を「解消」させるのだ。甘い言葉をかけて人をたぶらかす人間がいるように、世の中のエグ味や苦みをなきものとしているのではなかろうか。

その点カフェオレは程よく共存出来ている。コーヒーの苦みをミルクが消すことはないし、逆にミルクのまろやかさをコーヒーが脅かすことはない。

何より、白と黒が共存しているのがいい。世の中白黒はっきりさせ過ぎないのも心の安住につながる。この複雑性を、味わえる大人でありたい。

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