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東日本大震災から12年目の鎮魂の祈りとしての手話歌

本日は東日本大震災の発生から12年目である。

昨夜はいろいろ作業をしていたら6時過ぎに就寝。昼夜逆転がどんどん進行している。本日は予定がないとはいえ起きたら16時過ぎで驚いた。東日本大震災の黙祷の時間を寝過ごしたのは東北出身者としてはちょっと悔やむ。

喫茶店に移動して17時から21時まで仕事をする。充分以上に寝たからか結構集中して作業ができた。睡眠不足は仕事の敵である。

作業中に「震災の日だから何か慰霊に関することができないか」などと考えていたら、震災復興応援歌である「花は咲く」の手話動画を作成したら良いのではないかと思いついた。

帰宅して撮影を開始したが、さすがに全部の歌詞の流れを考える時間はなかったので最後の部分のサビだけを撮影して編集することにする。それでも撮影しながら手話の動きを確認して「ここの手話は何か違うな」と悩みながら撮影していたら1時間以上かかってしまった。

あまり満足はしていないが編集の時間も考えるとこの辺が限界かなというところで切り上げて、MacBook のiMovieにて編集。タイミングを合わすのがほんと大変だけど、それさえ成功すれば比較的サクサク編集できるので iMovie はすごい。1時間程度で編集を終わらせてTwitter とYouTube に投稿。どうにか今日中にアップすることができた。

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何度か書いているけど、2011年の6月に復興ボランティアで宮城県石巻市の港の方に行ったことがある。泥だらけの家を洗い落とす作業を担当したが、6人で三日間かかってやっと一軒家の軒下に溜まったヘドロを半分かきだせたかどうか、という程度で本当に無力さがあった。

現場では異臭がずっとしているのと、ご飯を食べようとすると無数のハエがたかってきたことを覚えている。東北でも6月になると日中は暑くじめじめ湿気っていて、あの中でずっと作業を続けている会社の方々や自衛隊・警察・消防などの皆様は本当にした凄まじい環境で戦い続けていることを実感した。

その中でも最も印象的だったのが道の端っこに泥だらけのゴリラのぬいぐるみが転がっていたことだ。その持ち主が何歳でどうなったかも分からない。

でも、そのゴリラのぬいぐるみは自分が子供の頃に遊んでいたぬいぐるみそっくりで、被災地の非現実的さの中でそこだけなにか「日常」があった気配が濃厚に残されていて、「そこに当たり前にあった日常が一瞬で破壊された痛み」の一端を理解した気がして、思わず涙が溢れてしまった。

そのぬいぐるみはおそらくそれからすぐに捨てられたに違いないし、被災した街も大きく変わっているであろう。だけども、今回の手話歌をつくるにあたってはずっとその「ゴリラのぬいぐるみ」が脳裏に浮かんでいた。あまりにも大きい震災という悲劇を捉えるにはあまりにも小さいぬいぐるみなのだけども、人は「大きすぎるもの」は捉えきれないことがある。

自分にとっての「被災地の原風景」というのはそのぬいぐるみなのだろうし、それが「一瞬で奪われた日常」の象徴でもある。あの震災から12年が経った。あのぬいぐるみの持ち主が生きているとした、今何歳だろうか。ちゃんと日常を取り戻すことができただろうか。

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私は歌がほとんど歌えず、被災地に花が咲くようなイメージを歌い上げることができない。でも、手話でなら少しは私が願う「花」を表現することができる。あのぬいぐるみが転がっていた泥にまみれた道端に、一輪の花が美しく咲いていることを心の底から願って、私の今年の鎮魂の祈りとする。

(この記事はブログの日記から抜粋し一部編集を加えたものです)

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。