2024年3月9日(土)競歩は意外に混乱含みの競技だった

今週はようやく週末がやってきたといった感じだ。先週末から子ども3人が順々にインフルにかかってそれはもう大変だった。インフル騒動も少しおさまり土曜の落ち着いた朝に『スポーツ大辞典』(大修館書店)をパラパラめくる。なになに競歩は論争の少なくない競技だったのか。50kmや20kmといった長い距離を市街地で走り抜くイメージがあるが当初はトラックで7マイル(約11km)を競うというものだったという。これは19世紀の終わりごろの話で次第にスピード化を求める動きが現れて4マイル(6.44km)に短縮され……3マイル……2マイルなどでも行われ距離が短くなればなるほど競歩のルールから外れて「走に近いフォーム」が出現。そんな状況だから判定をめぐってたびたび混乱が生じたようだ。またたびたび距離も変更された。初期のオリンピックでは国別総合得点制が取られていてこともあって特にイギリスやアメリカは自国に有利になるようIOCに圧力をかけていたのか。1500m→3500mと10マイル→1万m→3000m……などオリンピックの各大会ごとにコロコロと距離も変わっていた。混乱は収まらず総会の決議によってついには第9回アムステルダム大会(1928年)で競歩が中止されることになるのだがすぐさま第10回ロサンゼルス大会で復活。この大会からロードでの競歩が実施されるようになった上で距離も50kmという長距離が初めて出てくる。マラソンと同様に古くから距離があらかじめ決まっているものだと思っていたがそんなことはなかったのか。まだまだ知らんことはありますね。


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