春も終わりに、桜で思い出した…小学一年生の私
九州への『花旅』へ出掛けている間にすっかり葉桜になり、今年は緑の桜「ギョイコウ」も見逃したのでした。
桜、じっくり見てないかも…と思いながら noteの桜の記事が目に留まりました。
私にも桜の話ないかしら?…で、思い出しました!
小学一年生の終わりに、卒業生を送る会のための詩を書かされたことがありました。
送る会で六年生のお兄さんお姉さんに贈る言葉だと、先生が説明したと記憶しています。
配られた作文用紙を目の前にして私は「さくらの木とそつぎょう」って題を付けて 校内の桜の木を思い浮かべ、わりとサラサラ書けたのでした。
…桜が今はまだ咲いていないけれど、卒業生が中学生になる時には沢山の花が咲く、今は蕾も見えないし灰色みたいな暗い色の幹と枝だけど 桜の木はちゃんと綺麗な花を咲かせる準備をしている、春になればお祝いしてくれる、そんなことを思い浮かべて書いた詩。
実際にどんな風に書けたのか覚えていないし、詩も残っていないから確かめようがないのだけれど、思い浮かべていた桜の木の姿と自分の気持ちは今でもはっきりと覚えています。
そして、一生忘れられない気持ちになる出来事が訪れたのでした。
私の書いた詩がクラスの代表として選ばれて、送る会で発表する機会が与えられたのです。
大事件です。何故なら今と違って小学生の私は、答えが分かっていても手を挙げられない引っ込み思案な子供。一年生の一年間、先生に話しかけることもできない子。とても人前で発表できる見込みがない子でした。
そんな子を全校生徒の前で しかもステージの上で詩を朗読させるなんて、先生も思い切った人ですよね。
ちゃんと大きな声で詩を読むことが出来た!…自分が一番びっくりです。
ものすごくドキドキしたことと 私の名前が呼ばれた時に後ろにいたクラスメイトが背中を押してくれた記憶が残っています。
あの時、やる気スイッチみたいなのが入ったような感覚…
無事に発表できた喜びもあったけれど、よく考えてみると地味な詩だったし 分かりにくい詩だったと思うのに、先生は私の考えていることを理解してくれたんだってことがとても嬉しかったのです。
自分の気持ちなんて、誰にも分かってもらえないんだと…何となく幼い頃から感じていました。
だからこの時の、言葉にすることで分かってくれる人もいるんだって初めて知ったあの驚き。小学一年生の私に、希望っていうものが与えられた出来事でした。
それは一生忘れられない気持ち。
桜は、そういう思い出の木なのです。
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