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腹が立つ相手ほど、思いやりを

こんばんは。久しぶりの投稿です。最近人間関係で色々あり悶々と悩む日が続き、明日早起きだっていうのになかなか眠りにつけないのでこの際もう寝るのは諦めて起きてよう!ということにしました。

私が悶々としているのは、私の中学時代からの友達ともう2年くらい会えておらず、連絡も年1、彼女から来るお正月のLINEだけくらいです。彼女は10年近く付き合った元婚約者と、彼が体を崩したことで別れることになり、それから毎日たわいもないことで連絡をとっていたのにそれがきっぱりなくなってしまいました。

私の心に残る人

そんなこんなで人間関係について悶々としてはいたのですが、、
皆さんは人生を振り返って忘れられない人はいますでしょうか?もちろん当時すごく仲良かったけど、今は連絡とってないという子は少なからず誰しもいることだと思います。でも何年経っても自分の心の奥にある存在、思い出すとちょっと胸が痛むような人、そんな方はいるでしょうか?

私はそんな人が3人います。今回はその中で今の自分や自分の考えを作るに至った、言い換えればそこまで自分にとってインパクトのある出会いだった子について書いてみようと思います。これは私の黒歴史を晒すようなことになるので書くのは若干気が引けますが笑、今のこの瞬間の気持ちを記録するという意味もこめて書いてみようと思います。

小学生時代の友達Aちゃん

彼女のと出会いはもう20年近く前に遡ります。彼女は小学生の時の同級生で、転校生でした。彼女はとても明るく、活発で、誰とでも仲良くできるような、自分とは正反対の子。当時恥ずかしながらまだ精神的にかなり幼稚で、かつ根の性格が意地悪だった私はそんなAちゃんをみていて、新参者のくせに目立ちたがり屋なのが面白くない、と思っていたのかかなり嫌っていた記憶があります。他にAちゃんを好んでいない子がいたので一緒になって悪口を行ったり、本人の前で直接ひどいことを言ってしまったり、肉体的ないじめはしてないものの、でも精神的に言葉でひどいことをしてしまっていたのは確かです。


急な悟り

そんな私でしたが、ある日突然、「自分だめじゃないか」と思ったのかAちゃんに謝ったのでした。なぜそういう考えに至ったのかその記憶は全くないのですが、小学校の教室のランドセル置き場の前で、確か帰りの終礼間際、Aちゃんがランドセルを取りに行こうとしているときに私がそのタイミングを狙って話しかけたのは鮮明に覚えています。その場所が唯一自然と2人の空間になれると思ったからです。

私がはっきりなんと言ったかは定かではないですが「今までごめんね」と言い、Aちゃんが「もうしないでね」と言いました。きついことを言われ、拒絶されるかと思いきや、予想外の反応だったのを覚えています。

犬猿の仲から大親友に

一般的に、自分をいじめてた子から謝られたとしても、それで終了、という感じになってしまうことも少なくはないかと思います。ですが、私とAちゃんはどういうわけかいつも一緒にいるようになり、お互い相思相愛の関係になりました。今思い出しても、Aちゃんは小学生ながら本当に精神が成熟していて本当に良い子でした。Aちゃんは、自分のことを嫌ってもしょうがないのに、こんなクズみたいな自分がものを無くした時は、放課後まで一緒になって探してくれて、体育が苦手だった私に、運動会の組体操の競技の練習にずっと付き合ってくれました。他の子はできてるのに、自分だけできなくて先生が「○○の部分はできるようになりましょう」と生徒全体に話しかけていた時は私の両耳にそっとAちゃんが手を当ててくれて「聞かなくて良いから。気にしなくていいよ」と言ってくれました。

Aちゃんがこんな自分に対してすごく優しかったので、私は「自分だめじゃないか、自分も優しくならないと」と思うようになりました。それから私はAちゃんのやること全て真似するようになりました。彼女に対して興味もそうですし、一種の尊敬の念みたいなものも抱き始めたのだと思います。人への気遣いや思いやりだったり、彼女はかなり積極的で手を挙げるような子だったので自分までそういう積極性を持つようになりました。(もともと大の恥ずかしがり&目立ちたくない性分なので自分の積極性については一時的だしたが。。。)

マイナス値からプラスの方向へと向かおうとしていた私ではありましたが、でもまだ未熟は未熟で、Aちゃんの言った一言が気に入らなくて勝手に機嫌損ねたり、自分からちょっと距離を置いてしまっていた時もあります。本当に悪いやつだなーと今では思います。

でもそれでもAちゃんは、これは当時人を介して聞いた話ではありますが、私のことを「○○(私の名前)がいないと悲しい。○○が他の子と仲良くしてると取られちゃいそうで。。」と話してくれていたこともあったようです。

その後私たちは二人とも中学受験を目指すことになるわけですがその時もAちゃんが常に励ましてくれたのを覚えています。

別れ

Aちゃんと私は別々の中学に行くことになり、自宅も真逆の方向だったので会うこともだんだん減り、最初はたまに連絡を取って会っていたりもしたのですが、やはり環境が変わると新天地で新しい友達もできるのもあり、連絡も徐々に取らなくなりました。しばらくしてFacebookでつながることにはなるわけですが、小学校の友達(私の共通の知り合いでもある)と仲良くしてる写真を投稿されてるのをみて最初は寂しい気持ちばかりしていました。自分はもういらない存在なんだな、とかもう自分のことなんてなんとも思ってないんだな、、とか。投稿される写真を見るたびに一憂して、母親に「そんなんだったら見なければいいじゃないの」と正論を返されることも多々。
最初はそんなこんなでかなりショックでしたが、でもそれは徐々に、彼女が幸せであればそこに自分がいなくても良いのだ、という考えに変わっていきました。

自分を変えてくれたAちゃん

私がこんな20年近くたっているのに彼女が心の奥にあるのはなぜだろうと考えた時、いくつか理由があるなと思いました。それはもちろん仲良かったから、ということもあるかと思いますが、今まで他にも仲良かった子はいます。Aちゃんがなぜそこまで自分にとって忘れられない存在であるかというと、一つはそれはやはり、Aちゃんを傷つけてしまったという事実、そして罪悪感があるからなのだと思います。Aちゃん本人は今はもうそんなこと思ってないのかもしれません。むしろそうだから仲良くしてくれたのかもしれません。

ただ、Aちゃんも含めて色んな人と関わってきた中で考えると、人を傷つけてしまったという事実は相手はもちろんのことですが、その傷つけてしまったという事実に気づいた時、本人に返ってきます。相手はそんなこともういいよ、と言ってくれることもあるかもしれませんし、内容によっては許してもらったら一件落着、ということもあるかもしれません。

私は、Aちゃんを傷つけてしまった、ということそしてそういう思いを感じてるのにAちゃんが許してくれたこと、そしてそんな自分と一緒にいてくれて愛情を与えてくれたこと、これによってダメダメだった自分を変えてくれたこと、この4点があるから私は忘れられないのだと思います。

人の記憶に残る人

感情に強く触れる出来事を人は鮮明に覚えているものだと思います。それは良い思い出でも悪い思い出でもありますが、その人に対しての並大抵以上の感謝や罪悪感を感じている場合、人はその相手を忘れられないのだと思います。

腹が立つ相手ほど、思いやりを 

皆、誰かにひどいこと言われて傷つけられたり、彼氏から大事にされなかったり、友達から意地悪されたり、嫌なことをされると傷つき、腹が立つと思います。
時には、やられたことやり返して同じ思いをさせてやりたいとも。それは人間である以上自然な感情だと思います。
でも本当に相手の心にずーんと突き刺す方法はなにか。それは全く予期もしなかった優しさで返すことだと自分は思ってます。

例えば、振った彼氏に別れ際にボロカス捨て台詞みたいに言われたとします。
「〇〇ちゃんは、ーーーだったよね。俺は付き合ってる時言わなかったけどさ。」
「悪いけど、もう好きでもなんでもないよ」
「ーーーなの直したら?」とか。

もちろん、腹立ちますよね笑
お前、なにほざいとるんやい!という笑

でも相手は、自分が何を言ってるか、気づいてないのだと思います。振られた「自分」という軸で、相手へ怒りの感情がいくばかりで。
もちろん私も仮に振られたとしたら腹が立つかもしれません。それは理解できます。

でも本当に腹が立つなら、逆に自分を忘れられないくらいのいい人だった、と記憶に残る人にしてやりたいとは思いませんか?

特に終わり方というのは相手の全体像を表してしまうくらいインパクトがあります。
どんなにそれまでいいひとだったとしても、最後悪態つかれたら、「結局ーーーな人だったけどね」で終わってしまいます。

人にきつい言葉や、傷つくことを言われると言い返したくなります。でもそんな時逆に優しい言葉をかけると、あれ、、いいすぎたかな、、?と人はなってしまうものです。
そして特に別れ際、そういう終わり方で終わらせれば
ずっと心にわだかまりを持った状態で別れることになります。もちろんそんなわだかまりさえ感じないくらいの人もいますが。。。笑

自分が本当に愚かで人を傷つけてしまった時でさえ、相手の優しさがあると、自分が愚かだった、と気づいた時に本当にいたたまれない、罪悪感に駆られます。とにかく、謝りたい、と。
私はそんな気持ちをAちゃんに抱いていました。
彼女には謝り、彼女は許してくれ、自分を受け入れてくれさえしました。

もし彼女が、
お前なんてもういいよ!ふん!と言う態度だったら当時の私だったら「は!?なによ!!」となっていたかもしれません。

客観的にみて、人の気持ちを考えずに傷つける行為、
いじめる行為、馬鹿にする行為をする人は存在します。こんな文章を書いている自分でさえ、ぽろっと「あ、今日のあれ自分ひどいな。言わなければよかった・・」と言うことはよくあります。
でもそこで同じようにやり返してたら争いは終わりません。
お互いに残るのは怒りの感情だけで何も生まれません。

腹が立ったなら、自分はそんな行為をするような人にはならんぞ!と、自分を律して、優しさで返す。そうすると相手は今は気づかなくても、時間が経った時にふと、自分の顔を覆いたくなるくらい後悔する日がやってくるかも知れません。
その相手がふと我にかえり悟るきっかけに、ちょっとした自分の我慢でなること。
優しさの一つは自分のことを少し脇に置いて相手を考えられること、だと私は思っており、そう言う自分でありたいなと思っています。そしてそういうことができる人が、人の心に残るものではないか、と思っています。


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