青春の追体験 〜辻村深月さんの作品を通して〜

わたしは辻村深月さんの描く中高生目線の物語が大好きだ。辻村さんの作品には、自分自身が中学生や高校生だった時の感情を追体験しているかのような気分になるほどのリアリティーがある。

かといって、まだ辻村さんの作品全てを網羅しているというわけではないので、既刊でも読んだことのない本はある。だから本屋さんに寄って見たことのない辻村作品を見ると新刊はもちろん、既刊でも買ってしまいがちだ。というわけで出会ったのが「オーダーメイド殺人クラブ」だ。

さっとあらすじを説明すると、スクールカーストや女子特有の人間関係、母との距離感に悩む中学二年生の少女アンがひょんなことから「イケてない」クラスメイト男子の徳川に「わたしを殺してほしい」と頼み込み、二人で殺人計画を練る物語だ。こんな情報だけだと物騒でリアリティーがなさそうだが、「自分は周りと違う」と達観し、「死」を過剰に意識する少女が口先ではくだらないと言いながらも学校生活に一喜一憂する姿はあまりに「中学生」そのもので、自分の中学時代を思い出してしまうところがある。この作品のスゴイところは(というか辻村さんのスゴイところなのかもしれないけど)、この表現力にある気がするのだ。

自分自身が中学生・高校生のときのことを思い出すと、当時の事実は記憶として残っているけど、その時の感情や感性までは詳しく思い出せない。これはわたしに限ったことではないと思っているが、当時の事実を「今の自分」の論理で処理してしまっているのが原因のような気がする。

例えば「スクールカーストなんてあったなぁ…今思うとくだらないよな…あんなん中学生特有の文化なんだし、相手にせず好きに生きればいいのに…」といった感じだ。しかし、「オーダーメイド殺人クラブ」を読了して不意に思い出したことがある。中学生だった当時、わたしもアンと同じようにスクールカーストや人間関係に悩まされており、母に相談すると「そんなことに囚われるのは中学生だけなんだから気にしないで」と言われ、「そんなこと言われても周りもみんな中学生なんだし中学生の世界で生きてる以上囚われなきゃいけないじゃないか。自分は中学生の気持ちがありありとわかるような母になってやる」と得体の知れない怒りとともに強く決意したことだ。それなのにこの本を読んで思い出すまで、21歳のわたしは当時の母と同じように思っていたのだから恐ろしい。

そう考えてみると20代の今の感性は30代になった時、また他人事のようになってしまうのかもしれない。40代、50代になったらもっと「大人の論理」に飲み込まれてしまうのかもしれない。だとしたら、「今この時」感じたことを大切にしていくべきではないのだろうか。

冒頭でも述べたが、辻村さんの描く中高生の世界には驚くほどリアリティーがある。心の底に眠っていた当時の記憶を追体験してしまうほどに。辻村さん、本当はティーン作家なんじゃないかとすら思ってしまう。辻村さんの作品を読んでいると毎度毎度「あの時の気持ちを忘れたくないな」と思うのだ。

改めて中学生の自分と同じような決意をしてしまうのだが、自分自身のその時、その一瞬の気持ちを忘れないように、そして自分に子供ができた時に大人の論理で受け止めないようにしていきたいと思う。


最後に、辻村さんおススメ青春本リストでも置いておく。

○「かがみの孤城」
○「冷たい校舎の時は止まる」
○「名前探しの放課後」
○「子どもたちは夜と遊ぶ」
○「ぼくのメジャースプーン」

(今回取り上げた「オーダーメイド殺人クラブ」は好き嫌いが分かれる点もあるかと思うが、「死」とか「少女」とか「人形」が好きな方にはオススメだ。)




   


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