日本の大学教育の環境や背景について思うこと。(お父さんが怖すぎて理系に来てしまった話④)

わたしの人生では、「成績が悪い方」に入る状態はまずなかった。それが一転、下から数えた方が早くなってしまったのが大学入学後である。

何も知らずに勧誘されて入ったサークルが飲みサーだったり、そこで少し厄介な男性に会ってしまったり、学科でも男女関係トラブルに巻き込まれたりと障害は色々あった。けれども勉強への意欲の低下はそればかりが理由ではないような気がする。

大学に入ってから今までは当たり前のようにあった「新しいことを知りたい」とか「勉強は計画的にやりたい」とかそういったものが急になくなってしまったのである。

高校まではむしろ、勉強しなきゃしなきゃと言いながらできない子たちを自律ができていないくらいに思っていたはずなのに。どうして。

わたしは焦った。資料が山積みの図書館にたくさんの授業。活用するほかない環境なのに「やる気が出ない」とかそんな次元じゃなくて、「勉強しようと思ってもできない」自分に。

4年生になってからじゃ遅い、と言われたら本当にそれまでなのだが、その理由を冷静に考えてみた。

自分とは無縁だと思っていたが、大学生になって勉強しなくなる、というのはよく聞く話でもある。その理由は

・大学の授業がつまらない(先生たちのやる気がない)と学生が感じる

・就職において大学の成績が重視されず、サークルやアルバイトの経験を問われる

・その結果学生たちはいわゆる「楽単」を求め、厳しく評価する先生の授業の評判は落ちる

・教員たちも学生を指導することではなく、自らの研究が本職であるから評判が落ちるだけのしっかりした指導をしなくなる

という悪循環にあるらしい。実際大学一年生の時にわたしが感じたことはまさにこれだった。「授業に出ること」の意味が出席だけになり、自分で勉強した方が早いこともザラにあった。先生はモゴモゴ喋るだけでマイク越しでは何を言っているか分からないし、授業中に喋っている学生もいたりする。真面目に授業を受けて、真面目に復習し、勉強する。そんなスタイルで成長してきたわたしは混乱してしまった。

それに付随して疑問に思ったのは過去問システムだった。前年と試験問題をほとんど変えない教授が多く、過去問を暗記すれば身についていなくても優秀な成績をとれてしまうことがあり、真面目に勉強をしていた人よりも過去問を持っている人の方が好成績なんてこともよくある。希望のコースや研究室、ゼミに行けるかどうかが成績で決まってしまう場合、先輩経由で過去問を入手した人は過去問を自分の周りだけで共有する。(たまに学科やクラス全員に共有してくれる人もいるらしいが)この「過去問持ち」といかに仲良くなって過去問をおすそ分けしてもらうか…それとも過去問を持っている先輩に近づき自分が「過去問持ち」になるか…

社会の縮図といえばそうなのかもしれないが、純粋な学問や勉強の競争、努力の結果ではなくなってしまうのがやる気を削がれた理由の一つでもあった。わたしは過去問のために薄っぺらい人間関係を築くのも、先輩に媚びを売るのも嫌だった。

タイトル回収をしておくと、あんなに恐ろしかった父はあろうことか不倫をし、母が証拠を掴んだものだからなかなか威張りちらせない状況になった。そんな背景もあり、わたしもしたいことや本当に興味があることを考え始めた。今までは「大学に行く」「理系に行く」ことが逃れられない運命だったからそれ以外の選択肢など思いもしなかったが、今更になって色々やってみたいことができたのだ。

勉強についてもそうだ。普段ぼんやり考え事をするのは専ら文学的なこと、哲学じみたこと、心理学、教育学…そういう方向性が多いし、興味を持つのもそういうことだとようやく気づいた。普段使うものの成分とか、化学反応とか、そんなこと一ミリも考えたことがなかったのだ。

こうして「自分の人生を自分で考える」機会が巡ってきてその大切さに気づいた。

だからこそわたしが言いたい最後の話は「自分がしたいこと」を大学入学までに考える機会があまりに少ないということ。大学でやることは専門科目。理系だとなおさら勉強へのウェイトが重いから、とても興味があることじゃないと勉強が苦しい。大学は研究機関だ。小中高とは全然違う。だが、日本の大学は就職予備校のようなイメージが強く、高校の延長という感覚で見られがちだ。そして、親による刷り込みを受けていたり、大学進学をしないことがあり得ない進学校に通っていたりすると大学進学以外の選択肢や、学部選択の自由がなくなってしまっていることも多い。だから、高校までで大学という機関を知り、「大学で何を勉強するのか」とか「大学進学や就職は置いといて何がしたいのか」とか考える機会がもっと必要だと思う。

長くなってしまったが、「お父さんが怖すぎて理系に来てしまった話」はこれでおしまい。もちろん、全てを父のせいにする気もないし、考えが至らなかった自分にも責任はある。けれど、一人の人間としてようやく自分の人生を考えられるようになったし、同じような悩みを抱える人たちの力に少しでもなれたらいいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?