自己肯定感が低すぎる。②(容姿編)

容姿に対する自己肯定感の低さと戦っている女性は、意外と多いのではないかと思う。わたしもその一人で、未だに悩みの一つである。実はこの悩み、なかなかに苦しく辛いもので、こんな悩みを持っている人がたくさんいると思うとどうにかならないものかと思ってしまったりもする。

わたしは弱視を疑われるほど視力が悪く、小さい頃からいわゆる「牛乳瓶の底のような」分厚いメガネをかけていた。近視があまりに強いもので、メガネ越しの目は豆粒みたいだったから、ずっと自分は目が小さいと思っていた。

転勤族だったわたしは、二つ目の小学校までは特に問題なく男女ともに仲良くできていたのだが、三つ目の小学校で問題が起きた。わたしの学年はどうやら少々問題が多かったらしく、窓ガラスを割る男の子や、授業中に取っ組み合いの喧嘩をしてしまう子たちがいた。

転校生とは、なにかと注目を浴びてしまうものではあると思うが、転校して間も無く「メガネブス」と呼ばれるようになった。容姿のことで暴言を吐かれるのは常になり、上靴をトイレのゴミ箱に捨てられたり、椅子の上に画鋲が大量に並べられていたり、お道具箱がゴミ箱にされたりといった「ザ・いじめ」みたいなことをされた。おまけにわたしは女子としては稀に見る毛深さだったから、プールの時間は必ずメガネザル呼ばわりだったし、母がおしゃれで美人だったものだから、母が授業参観に来るたび「お前は絶対あのお母さんの子供じゃない、拾われたんだ」と言われた。

こんなことをしてくるのは一部の男子…いわゆるスクールカーストの上に立つ、少し不良っぽい子たちだけで、女の子や優しい男の子は皆仲良くしてくれたから、たまに休んでしまうことはあれど、なんとか学校には行けていた。

心配した女の子の友達がファッションを教えてくれた。すると、いつもカジュアルスタイルのわたしが着飾ったことに対してまたからかわれる。

「肌が傷つくから」と言ってムダ毛を剃らせてくれなかった母に頼み込んで見える部分のムダ毛を全て処理した。すると、「こいつ、毛剃ったぞ!キモい!」と言われる。

こんなことをされなきゃいけない理由が、もしわたしの性格や行動にあるのなら、治したい。けど、容姿は変えられない。努力したことすら笑われる。

そうか、ブスだから悪いのか。ブスは罪なのか。容姿が美しくない、ただそれだけでこんな罰を受けなければならないのか。

父が同僚の女性たちの容姿を悪く言う癖があったことも原因の一つだったのかもしれない。わたしは容姿に執着するようになった。

中学生になったら母に懇願し、コンタクトレンズを買ってもらった。高校生の時、毎日アイプチをして重たい一重をなんとか二重にした。美容やファッションに興味がない子が多い女子校で、一足先にメイクを覚え、日々丁寧にスキンケアをし、貯金とお年玉でトレンドのファッションを取り入れた。容姿が悪いと、下に見られてしまうとか、攻撃されてしまうと不安で仕方なかったのだ。

今では美人な母に少しだけ似てきたのと、美容やファッションに気を遣っているおかげで、容姿を貶されることはなくなったが、自分の顔が憎いと感じてしまうことは克服できずにいる。自分の顔を見るのが苦しくて、手鏡を割ってしまったこともある。

こんなわたしだが、自分の容姿を好きになることはできなくとも、自分で自分を認めてあげられる日が来ると良いなと思う。だから、そのための努力は惜しまないつもりだ。大学生になり、バイトをして歯科矯正と医療脱毛を始めたが、痛いことも「あの時言われた言葉より痛くないな」と思ったら辛くない。

そして、わたしと同じように容姿に悩む人を少しでも楽にしてあげたいという目標もできた。有名人でもなんでもない存在だけど、せめて自分の周りの助けくらいにはなりたいと、そう思うようになった。

有名人と言えば、最近は美容の情報を発信するインフルエンサーの方やYouTuberの方が容姿に対するコンプレックスがあることや考えを話してくれることも多い。今は小学生もインターネットをよく使うようになっているからこそ、彼女たちの発信はとても意義があるような気がする。容姿に悩む人は「わたしだけじゃない」と安心できるし、もしかしたら容姿のことを悪く言うことの重大さに気づいてくれる人もいるかもしれない。

日本は特に、容姿を気にする文化だと言う。そこにはもちろん「可愛くなりたい」とか「綺麗になりたい」というポジティブな傾向もあると思うが、幼い子供が簡単に身近な人の容姿を貶してしまうような一面もある。文化とは、わたしたち人間が作り上げるものだ。わたしの父のように、女性の容姿を悪く言う大人がいれば、子供たちも無意識のうちに影響され、ルッキズムに隷属した文化が形成されてしまうということもあるはずだ。

だからこそ、わたしは新しい文化を築く一員になりたい。自分に子供ができたら、容姿のことで誰かを傷つける子にも、傷つけられる子にもなってほしくないのだ。自分にできることは限られていても、自分の周りの世界くらいはどうにかできる、そんな存在になりたいものだ。


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