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自己肯定感が低すぎる①(自分の産み出すもの編)

最近、「自己肯定感」という言葉をよく耳にするようになった。自信がないとか、自分が嫌いとか、色々な言い方のあるそれを総称できる「自己肯定感が低い」というフレーズ。とても便利だ。

かく言うわたしもとても自己肯定感が低い。自分の容姿も性格もなにもかも自信がなくて、認められなくて、正直とても生き辛い。少しでも楽になりたいからいわゆる自分磨きをするのだけど、周りに評価されてもなかなか信じられず、自信はないままだ。

自己肯定感の向上に意味があるか分からないが、文章にしてアウトプットすると自分の考えていることにも整理がつくし、分析しやすくなるから少し話をしようと思う。

わたしは一般的な一人暮らし大学生にしては、自炊をしっかりしている方だと思う(トップ画像を自作のプリンの写真にしてみた)。節約のためではあるし、スキル自体はおそらくそれなりにある。のだが、一つ大きな悩みがある。それは、「自分の産み出す物を好きになれない」問題である。

料理し、作り上げたものはある意味自分の作品だ。でもそれはわたしが嫌いな「わたし」が作ったものだから、ものには罪がないのになんとなく嫌いに感じてしまうのだ。だから、味は美味しいはずなのに食べていても幸せを感じないことがある。

これは料理だけに限らず、自分の描いた絵、自分の演奏した音楽、自分の撮った写真…全てに当てはまる。自分が産み出したものというだけで価値を認められないのだ。

こんな困った気質、どこで培ってしまったのかと考えると思い当たるエピソードがある。

小学校の時だ。なぜか担任の先生に目の敵にされていたのだが、図工の時間描いた絵を突然黒板の前に「悪い例」として張り出されたのだ。先生はわたしの絵のここが悪いあそこが悪いと酷評した。一回目はまあそんなこともあるよなと落ち込んだが、自分の絵の力量のせいかと思った。しかし、それは一度では済まなかった。事あるごとにわたしの作品を悪い例としてクラスに見せたり、直接欠点を告げてきたりした。あまりの猛攻撃に気づいたのかとなりのクラスの先生が励まし、作品を褒めに来てくれたこともあった。(この先生には感謝が止まらない)

わたしが自分の産み出すものを愛せなくなってしまったのは、この時から始まってしまったような気がする。幸い、高校の時に小論文を学園誌に載せてもらったこともあり、文章に関してはマシな方かもしれない。

褒めてもらえるのに自信を持てないのは、褒めてくれる人にも失礼だという意見もあるし、その通りだと思う。料理だって、音楽だって、褒めてくれる人はいるのに自分で自分を否定してしまうのをどうにかしたくて仕方がない。

実は、noteを始めたのはこれを克服する一つの手段にならないかと期待しているというのもある。これから少しずつ、治していきたいなと思う。

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