お父さんが怖すぎて理系に来てしまった話③

女子校の理系コースはそれなりに人数がいるものの、看護師志望と薬剤師志望がかなりの割合を占めている。あとは医学部志望。この医療系志望たちは親の希望に従っている子がかなり多かった。特に医学部志望は両親や祖父母の跡継ぎという意味合いが強かったようだ。

わたしは医療系には本当に興味が持てず、理科の実験だけは好きだったのでなんとなく理工系の化学専攻を志望した。理工系志望の生徒は少なかったが、親の意志ではなく自分で決めた進路という子が多かったので、そこに混ざることで「これはわたしが決めた道だ。わたしは理科が好きなんだ」と思い込みたかったというのもあるかもしれない。

化学は父の専攻と同じだったので、父は喜んだ。心のどこかでどこかで父に褒められたい、優しくしてもらいたいと思っていたのかもしれない。

受験学部や専攻はこんな感じでゆるく決めてしまったが、大学で何をするのかのイメージは何もつかなかった。見学に行ったり、オープンキャンパスに行ったりもしたが、感じたことは「高校に比べて自由そう」とか「本格的に勉強するんだな」くらい。

受験自体はあまり苦労せずに済んだ。第一志望は日本トップクラスの大学だったが、女子は1割もいないところで正直諦めていた。そこには落ちてしまったものの、後期入試で実家からは通えない距離にある旧帝大に引っかかった。

父は喜んだ。職場でもたくさん自慢したらしい。父自身は学問より駅伝の方が有名な大学の出身だが、大手企業に就いていたから、同僚たちが皆高学歴であることにコンプレックスを持っていたようだった。

「MARCHじゃなくて安心したよ」

お父さんの大学はMARCHよりも偏差値低いのにどうしてそんなこと言うんだろう。そもそも学歴で全てが決まる訳じゃないでしょう。

そんな怒りが湧いてきたが、押し殺した。

こんなに父の話をしているのに、という感じではあるが、父は単身赴任をいいことに音信不通になったり、家に帰ってこなくなったりを繰り返していた。母は連絡の取れない父に苛立ち、父の悪口をわたしに言い続ける。そんな環境に疲れていたから、大学進学とともに一人暮らしができるのは少し嬉しかった。

次回:(おそらく)最終回、大学進学後と今のお話




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?