お父さんが怖すぎて理系に来てしまった話①

「お医者さんか、歯医者さんになったらどう?」

「あ、授業で解剖したら倒れかけたのね。じゃあ薬剤師は?」

「薬剤師も嫌なの。じゃあ理工系しかないね。パパみたいないい会社に入れたらいいね」


これから始まるのは、そう父に言われて理工系の中ではまだ興味のある化学系の学部を受験し、それなりに名の知れた国立大学に入学したわたしの話。



父は、気に入らないことがあると母やわたしを怒鳴りつけたり、時には暴力を振るう人だった。母は父を怒らせまいと父に従い、わたしは母が傷つくのが嫌だから母をかばい、時には盾になったりもした。そして父は一人娘のわたしに対する期待が少し、過剰だったような気もする。

小学生の頃、クラシック音楽と「のだめカンタービレ」が大好きで、自分自身もピアノを習っていた。同世代の周りの子供たちよりは上手い方だったらしい。だからか、音大に行くのも選択肢の一つとしてアリだな…なんてぼんやり考えていた。いつだったか、それを家族の前でこぼしてしまったことがある。その時父は「音大に行く?ピアニストになれるのは一握りだ。やめておけ。」と不機嫌に言い放ち、だんまりを決め込んでしまった。

その後も似たようなことが何度もあった。専門学校に興味がある、とか、こういう仕事をしてみたい、とか言ってみるとその度に「大学を出なきゃ仕事なんてない」「フリーターなんて甘えだ、ダメだ」と却下されてしまう。父の望む回答をしなければ、何もかも否定されてしまうし、時には殴られてしまう。父は医者か、薬剤師か、研究者か、理工系で大手企業に就職するどれかであってほしいようだった。

やりたいことを提案してみても否定されてしまう。結局将来父のように大手企業に就き、休日は寝てばっかりで家族を虐げる存在になるのか…そう思うと趣味や芸術にかける時間の意味も、楽しさも全部分からなくなってしまった。

そうしてわたしは中学に上がると引越しを機にピアノに習字、水泳、スケート…色々やっていた習い事も辞めてしまった。ただ勉強だけはしないとな…という意識があり、知識欲もあったので常に成績は上位だった。

中高一貫の女子校に進学したこともあり、親が進路を決めている子もたくさんいた。父の暴力は苦しかったけど、進路の強制については反発する元気もなく、もはや疑問を持つこともなかった。


次回:高校に上がって直面する、文理の選択

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