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子供時代の「うる星やつら」の記憶

アニメ「うる星やつら」が今月(2022年10月)にン十年の時を経て、キャストも一新して放送される予定だ。

モチロン、そちらも楽しみだけど、かつての方も見てみたくなっている。ただ、なにしろ放送話数が多いのもあり、まだ1話も見ていない。子供の時に放送してた時はおそらくほとんど見てないと思われるけど、それでもOP/EDはどれも聞き覚えあるんだよなぁ。

なぜあんまり見てないかというと、世代がちょい上だということだったり、かつては食事中にテレビは見ない主義の家庭だったこともある(今は実家に帰ったときとかでも普通に見ているし、一時的なものだったのかもしれない)。でも、それだけじゃなくて「うる星やつら」(あるいは高橋留美子作品)の独特な世界観は親には理解されなかったっぽいので(特に母親)、空気を読んであんま見なかった(見れなかった)…。だからたぶん、ひとり暮らしを始めた大学時代にレンタルビデオかなんかでいくらか見ていたから覚えているのかもしれない。

「うる星やつら」に関して言えば、嫌いだと表立っては言われたとかじゃないけど、雰囲気とか態度で察しただけ、と言えばわかるだろうか。「うる星」に限ったことじゃなかった。何を見るにしても、母親が好みかそうじゃないかを無意識的に、あるいは意識的に探りながら、お互いが好みなら安心して見ていた、そんな子供時代だったなあと思い出してしまった。例えば、「ヤヌスの鏡」とか「スケバン刑事」は母親があんまり好まなかったようだったから見てこなかったけど、ちびまる子ちゃんとかサザエさんとか世界名作劇場とかはどっちも好んでたから見ていた。そんな感じだった。

今にして思えば、いや、きっと当時も感じていただろうが、窮屈な子供時代だったように思う。どうしても人の顔色を見ながら行動をしがちなところは、その頃からかもしれない。顔色うかがったところで、それに対する行動が正解になるとは限らない。だから、できればそんなにはうかがいたくないし、空気もそんなには読みたくない。でも、無意識に読んで、下手に慎重になってしまうところがある。その反面、慎重になり過ぎるのがいやだと言う気持ちが働くのか、あんまり深く考えずに飛び込むこともあり、その多くが失敗に終わってしまう。このへんをいい塩梅で行動に移したいんだけど、なかなかうまくいかないまま、今まで生きてきている気がする。

「うる星やつら」の話がこんな話になってしまったが、かつてのアニメも全話見たいという欲求も過去に見れなかった分を取り戻そうとしてるのもあるのかもしれない。考えすぎかもしれないけどもね。

それはそれとして、「うる星やつら」はそんなモヤっとした気持ちも払いのけるべく、楽しんでいきたいと思う。過去のも、そしてこれからのも。


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