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たくさんの人に僕は傷つけられてきた、そして、僕もたくさんの人を傷つけてきた

僕は人から傷つけられ被害を受けてきた、と気づき認めたとき。同時に、僕も同じように人を傷つけてきたと気づいてしまった。
被害の事実を認めたときに、加害の事実にも同時に直面した。そのあまりの落差を受け入れることができなかった。

自分自身への嘘が、偽りが、ごまかしが一番の苦しみだったんだ。

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国際結婚をし夫婦の問題をきっかけに自身の心に向き合い、それを発信しているsakuraさんのブログ。

人は主観でしかものが見れない間は「自分の思考は正しいのになぜか改善されない状況」への矛盾には気づけない。その矛盾を肯定してしまう人々がいたらもっと気づけない。見えてる世界だけで決めつけるのは限界があるため、いずれその矛先は他者に向けられ他責思考が更に固まる。

目を通してみると、わなわなと震え、怒り、否認したくなりながらも、しばらくその感情とともにい続けて、その奥になにがあるのかを少しずつ言葉にしていく。

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僕自身が「自分の思考は正しいのになぜか改善されない状況」への矛盾に全く気づけない人間だった。そして見事に他責思考に囚われていて他人のせいにしまくりな人生を送っていた。
たくさんの人に一方的に傷つけられてきたと思っていた。そんなあいつらが悪いんだ、人間のクズだと吐いて捨ててきた。

あるとき心と体が悲鳴をあげてしまい、カウンセリングに通い始めた。自分の傷つきをカウンセラーに何度も充分に聞いてもらっていく中で、僕は傷つけられ被害を受けてきたんだ、そう認め、受けとめてもらえたとき。
同時に、気づいてしまった。
僕も同じようにたくさんの人を傷つけてきたことに。

他責思考が僕にとっての相手を傷つける加害性の源だった。自分のことは棚に上げて、相手を悪にして傷つけてきた。

僕の心と体が悲鳴をあげ限界を示したのは、とてつもない被害を受けたからじゃなかったんだと今では思う。傷ついてきたのは事実だけれど、それ以上にまさか自分がたくさんの人を傷つけ痛めつけてきたってことを直視できなかった。認めたくなかった、そんなわけがない、嘘だ嘘だ!!!
そんな自分自身に対する嘘が、偽りが、ごまかしがもうどうしようもなく極まったから、もう限界だと叫んだんだよなって。

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依存症からのリカバリーカルチャーを広めている高知東生さんの言葉が私も含め他責思考に囚われている人や矛盾を抱えた生き方をしている人にきっと響くんじゃないかな。sakuraさんが発信していることにも通づるものがあるなあ。

「環境のせいにするな」って言いたくなる人の気持ちも分かる。でも環境のせいって確かにあると思う。だから一度環境のせいにして自分のせいじゃないって思えることも大事じゃないかな?「辛い環境だったな」って周囲の人も認めてあげて、そこから「じゃあ、これからどうしたい?」と手伝ったらどうかな

これまでの人生をまずはねぎらうこと。そして「あなたはこれからどうしたい?」という、おそらく一度も向けられてこなかったメッセージを自分自身に問いかけてみること。
すぐには応えられなくても「私」と「わたし」が一緒にいる時間をつくってともに過ごしてみることが大切なんだと思う。

私も時にへこたれながらも実践している毎日です。

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