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悲しみの感じ方を忘れてしまったよ

本を読んで親にも事情があったんだと知る、この世界の人間の歴史を学んでもうずっと前から負の連鎖が続いていたことを知る。
すると、親や大人の言動によって傷ついた悲しみの感情が行き場を失う。
もうクヨクヨめそめそしててもしょうがないじゃないかって。理性的に頭を働かせればそうなってしまうよね。

行き場を失った感情はまさに今の自分のようだ。
どこに行くあてもなく、どうにもならない状態で立ち尽くしている。
生きたいもなければ、死にたいもない世界。

感情は死なずに消えずにずっと残り続けるものなんだと思う。
表現することでいくらか解放されるような気はする。
それもせず、抑圧し、論理的に把握してどうにか納得しようとする。
仕方がなかったんだ、どうしようもなかったんだ、もうずっと人間はそんなことを繰り返してきたんだ、生まれた時代が悪かったんだ、人間に生まれたのが運の尽きだったんだ、、、

仕方ない、仕方ない、仕方ない。
そう言い続ければいつか開き直れる日がくるんじゃないかって。

***

でも、この「仕方ない」が自分自身の悲しいという感情をごまかすためのものになっているなって思ったんだ。
先に「仕方ない」ありきで、だからそれに従えよって。
いつまでメソメソしてんだ、泣き言を言ってるんだ。
前を向いて生きろ、苦難もバネにして生きてみろ、他の大変な人を見習えよ!って。
自分のインナーチャイルドを自分のインナーペアレンツ(インナーアダルト?)が責め立てる。

悲しみの感じ方を忘れてしまったよ。
苦しみの感じ方を捨ててしまったのかな。
つらい、しんどい、嫌だ、素直に感じる方法を置いてきてしまったんだろうな。


どこに? いつの間に? 覚えていない。

取り戻せるの? 分からない、分からない、分からない。
分からないけれど、生きたいもなければ、死にたいもないから。
とりあえず、今この日、この時を、ただただ生きているだけ。

今はただそれだけ。

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