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思い出の土地、ミュンヘンへ

ドイツにはジルベスターという年越しのイベントがありますが、日本のようなお正月休みという感覚はありません。2日から比較的通常運転な感覚です。
私も31日にたまたま手に入ったそばの乾麺と、アジアンスーパーに行って見つけた”みりん”を使って、麺つゆを作り年越しそば気分を味わいました。お餅食べたいなあとは思ったものの、日本のようなお正月が恋しいということはあまり感じることなく1月1日を迎えました。カウントダウンに関しては派手なので、至る所で爆竹のような花火のようなものがボンボンと打ち上がるので、部屋から見るだけで満足でした。
強いていうならドイツらしい年末といえば、"Dinner for one"という昔のコメディ。10分くらいでとっても単純な英語のコメディなのですが、年末になるとドイツ人はこぞってこのコメディを見るのだとか。
母にそう教えてもらい、年越しそばを1人啜りながらYoutubeで見つけた"Dinner for one"を見ながらの年の瀬でした。
(参考までにYoutubeのリンクを。本当に単純で、クスっと笑えるのでおすすめです。英語ですが、見ているだけでストーリーがわかるのとブラックジョークも混ざっていないコメディなので誰でも楽しめます。)

まあ前置きはこのくらいとして、2024年はいきなりフルスロットルで走り出した始まりでした。2日からドイツの南のミュンヘンへ講習会のために楽器と共に旅へ。
大変光栄なことに、講習会の運営から奨学生として推薦をいただき全額奨学金生として講習会に参加するチャンスをいただき、以前から受講してみたいと思っていた教授の講習会に参加しました。
推薦を得てきている身分であるために、下手な演奏はできません。講習会という学ぶ場ではありますが、世界中から集まる精鋭の同世代の音楽家たちと渡り歩き、密かに火花を散らす場所でもあります。案外過酷なんです。
教授に演奏を認めてもらえること、数回しかないレッスンで教授とどれだけコミュニケーションを取り、その教授の音楽をどれだけ吸収できるか。そして、その教授が世界的に有名な音楽家であればあるほど、その講習会に参加して教えを受けたという事実、そして教授に演奏を気に入ってもらえるということは今後のキャリアを左右します。もちろん、相性ということもあるので全てが合致するわけではありませんが、狭いクラシック音楽の世界の中では重要なキーポイントであることは確かです。
また講習会に奨学生として参加するということは教授からはもちろんのこと、他の受講生から品定めをされるということでもあります。「あの程度で奨学生ですって。」などと言われれば、推薦してくれた運営のメンツを潰すことにもなりますし、私の音楽にも疑問符をつけた目線を向けられます。
そのような事態があってはならない。そう心に刻み込んで、年末は準備の時間に充てて、年明けすぐにミュンヘンへと向かいました。

私にとってミュンヘンは大切な街。これまでに、私の音楽家人生を変えてきた街です。父の何気ない一言で、Googleで「ミュンヘン ヴァイオリン マスタークラス」と検索し、なんだか良さそうな講習会があると見つけ、申し込みをして、ミュンヘンへ向かった高校3年生の2月。初めて演奏を聴いて衝撃を受けたヴァイオリニストの先生のレッスンを1週間集中的に受けて、「音楽」「ヴァイオリン」を根本から覆された経験。そして、その先生から「また次もおいで」と声をかけてもらったこと。ここから私のドイツ留学への道が始まったとも言えます。破天荒に見えるけれども、ぶれない軸を持つ先生。(Instagramとかプロモーションだけを見るとナルシストっぽく見えるとよく言われるけれど、実際はとっても緻密で知的な先生です、笑)音楽のメンター的存在とテクニック的な面のサポート、感覚的なことを徹底的に数字や言語化していく先生のやり方は私にぴたりとはまり、私の日本人でありながら日本人ではない部分を引き出してくれる先生。
パズルのピースを見つけたのが始まりのミュンヘンでした。
その年は先生を追いかけてヨーロッパ中を周り、先生の音楽を吸収するべく必死に学び続けました。
そしてコロナ禍直前の1月(もうすでにイタリアなどでは雲行きが怪しかった時だったのだけど)にも講習会があり、先生からミュンヘンに来ないか?というメッセージをいただき、再びミュンヘンへ。そこで出会ったのは私の大好きな女性ヴァイオリニスト。私の中ではCDやYoutubeでしか存在しなかったヴァイオリニストが目の前にいて、弾いている。話している。もう目が離せませんでした。そして、自分の先生に集まってくる生徒は同世代でも有名なヴァイオリニストやすでに演奏家として華々しいキャリアを積んでいる人たち。その中に混ざり、たくさんの会話を積み重ねていくことで蓄積されていく音楽の世界や夜な夜な曲についての議論を交わしあったりした時間というのは私にとって尊いものでした。語学力・英語を武器に話の中に入っていく、そこから得た経験をもとに日本に帰り、私も彼ら彼女らと同じように磨き上げていく。その良い循環を経験した時間でした。
しかしながらその講習会を最後にコロナ禍へと突入し、動けないということの辛さと歯痒さに唇を噛み続ける時間がやってきました。
そんな中、ミュンヘンに住む先生からオンラインレッスンの誘いが。
先生もコンサートや講習会が相次いでキャンセルとなり、困惑する生徒のことを思い誰よりも早くからオンラインレッスンの準備を整えていました。
私にとっては喉から手が出るほど欲しかった時間でした。さらにはこれまでは早くて半年に1度しか会えなかった先生とオンラインの画面越しでも週に1回会える。これは何よりも嬉しく、日本という島に押し留められている状況でもヨーロッパと繋がりを保てていけるという何よりの自信へとつながりました。
時差7時間から8時間という時間を乗り越え、先生とSkypeを繋ぎ、オンラインだからできるレッスンをじっくりと進めていく。ミュンヘンと自分の家が繋がっているという安心感はコロナ禍の私の大きな支えでした。

1年近くオンラインで細い糸のようなつながりを保ち続け、我慢の限界と日本だけ取り残されていく感覚に焦りと苛立ちを覚え、行政の大変な手続きがあることを承知の上で飛び出した2022年の春。妹と共にヨーロッパの各地で行われていた講習会を渡り歩き、そして1人で先生に直接会いに行くためにミュンヘンへ飛びました。ここで得た安心感と第二の故郷とも思えてくる空気。先生に画面越しではなく直接会えた喜びと先生の音を同じ空間で聞けることに感激して、初回レッスン後は1人で感動の涙。良かった、ちゃんと1年間地道に取り組んできた時間は無駄になっていなかった。ちゃんと前に進めているんだ、その確かな手応えとそれまでの時間を肯定したもらえた大切なミュンヘンへの旅でした。

まだまだ語ろうと思えばミュンヘンにまつわるエピソードは数え切れないくらいあるのですが、大きな意味を持つ出来事と音楽家としての節目のようなタイミングにいつも「ミュンヘン」がありました。
今回の奨学生としてのオファーも「ミュンヘン」から。
”君は音楽家であり続けるべきなんだ。”
そう運営のオーガナイザーから電話をもらった時は、本当に嬉しかったです。

ミュンヘンからお便りがきて、ミュンヘンに引き寄せられて、ミュンヘンからまた宿題をもらって。要や節目を私の音楽家人生に刻む大切な場所として、何度も何度も訪れたい街です。

ミュンヘンに好きな教会があったり、お気に入りのスポットがあるのですが、この市庁舎の前の広場は通ると写真を撮りたくなります。そして、必ず綺麗に映える写真が撮れる笑
バイエルンの独特な雰囲気と、街の人々か街を心から愛しているんだなあと感じるあたたかい南ドイツの風が心地よいです。(今は極寒の土地ですが)

Marienplatz

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