No.168/オススメの一冊:生命とは何か
2024.06.16
こんにちは、くのてつです。
自分の読書備忘録も兼ねて、僭越ながら毎週日曜日はオススメの1冊を紹介させていただいています。
今回の1冊はこちら。
自分いとっては非常に難しい、久々に心が折れまくった一冊でした。
とりあえず読み終えましたが、もはや理解できたという領域にはなく、正しくは感じたというレベルです。
果たして「感じた」ことも合っているかどうか怪しいところですが、自分なりに着想を得ることはできました。
その点、少し言語化にチャレンジしてみようと思います。
自由が故に生を問う
この一文から本書は始まります。
分かるようで分からない。
大事そうだけど、どのくら大事なことか分からない。
この先を読み進めることが億劫になりそうな難しさですが、実に哲学的な原理の提示だと感じます。
私たちは自由です。
特に日本人は飢餓もない戦争もない、自分が動けば自己責任で何でもチャレンジできる環境にあります。
しかし、人は口を揃えて時間がない、といった都合の悪さを理由にチャレンジすること止めている。
そんな気がします。
この言い訳による行動制限が生の可能性を狭めてしまっているとすればどうでしょうか。
喜ばしいことではありませんね。
100万人の親戚
江戸時代まで日本の歴史を遡ると、遺伝的に親戚といえるような人が100万人ぐらいいるのだそうです。
となる、今横にあるあの人、今日あったあの人もこの人も、みんな何らかの遺伝的要素を引き継いでいると言えます。
何が言いたいかと言えば、「人類皆兄弟」というのはあたりであり、多くの共通点があることに本質や原理的なものがあるということ。
基礎は万人共通、普遍であり不変ということです。
例えば歩くこと。
気づけば誰もが個性溢れる歩き方をしていますが、これも原理的な動きについては人はみんな同じ。
でも、全く違う動きをやっていたり、何らかの制約を受けてそれぞれが違う歩き方になっている・・・と考えると、その制約にをいかに取り除けるのか?というテーマが浮かびます。
根本から理解した、納得できたという領域にはほど遠いのですが、それでも何らかのヒントを得たように思います。
人にとって不自然な要素がエラーを引き起こし、それを自然に戻すとエラーが解消される。
つまり、表面的な理解や行動においては一過性の成果、もしくはエラーに誘導され兼ねないリスクある成果になる。
そんなイメージです。
言語化できない領域もあると思うので、何でも言語化するというよりはアウトプットでの整理でもいいのかも知れない。
そんなことを考えさせてもらいました。
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