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ラジオが聴きたかった

はじめてラジオの深夜放送を聴いたのは、家族で山へ彗星を見に出かけた夜だったはずだ。子供のころ、天体観測が趣味の父に連れられ、星を見に行くことがたびたびあった。カーラジオから流れるおしゃべりの内容は、まったく憶えていない。それから何年か経った中学1年生の初夏(期末試験の勉強をしていた夜だったと思う)、僕は自分の勉強部屋で深夜ラジオに出会い直し、すっかり大人になった現在に至るまで、およそ20年間、ほとんど毎晩ラジオを聴きつづけている。

インターネットでラジオを聴ける時代は、まだ先だった。CDコンポのダイヤルを回し、雑音の中、遠くの誰かの声を探した。地元の放送から聴きはじめ、しばらくすると、名古屋ではネットしていない東京や大阪の番組も次々「発見」していき(AMはそれが可能だった)、衝撃を受ける。「衝撃を受ける」というのは、単なるお決まりのフレーズではなくて、ついこのあいだまで小学生だった自分にとっては、ほんとうに価値観を根本から揺るがされ、つくり変えられるほどの体験だったのだ。

名古屋では聴けなかったオールナイトニッポンの二部(当時のタイトル表記では『allnightnippon-r』といった)、TBSラジオの伊集院光や爆笑問題(彼らはいまの僕とおなじくらいの年齢だった)、大阪では『誠のサイキック青年団』や『ABCアシッド映画館』……聴けるものはみんな聴いた。ラジオを通じて知らない世界にふれる興奮を忘れられず、ちょっとでも新しい刺激を取りこぼしたくなくて、家族旅行や修学旅行にも携帯ラジオを持っていくほど、僕はラジオが聴きたかった。

東京に行きたかった。ノイズのない、クリアな音声で東京のラジオを聴きたい。そのころにもしradiko(やYouTube)があれば、東京の学校への進学にこだわることはなかったのかもしれない。そればかりか、のちに僕は、ラジオを一日中聴きつづけられる仕事まで選ぶことになってしまう。深夜ラジオとの出会いは間違いなく、僕の人生を決定的に方向づけた。よかったのか、悪かったのか、それを問うのはやめにしよう。消えていった可能性を数えはじめても、しかたのないことだから。

ラジオを聴いている自分は、聴いていないクラスメイトより「おもしろい」んだと思い込むようにもなった。やっかいな勘違いだった。それが原動力になってチャレンジできたことだって、たくさんあるだろう。しかし、いまでは、その「おもしろい」は、もっと大きな「おもしろい」のうちのほんの一部であり、ある内輪の中でしか通用しないものだということを、いやというほど知っている。

ラジオとの向き合い方が変わりつつある。かつてのように深夜ラジオを聴くことは、もうない気がしている。もちろんラジオにはさまざまな番組があって、そのうちのいくつかは今後も聴きつづけていくことになるだろう。お昼にだって聴くし、まったくの決別にはならない。でも、ここ最近は、別れの予感のイメージがつきまとって離れない。望まれない客になってしまうまえに、長居しすぎた店から出ていく。いよいよそんなときが来ていることを、僕は無視できないでいる。

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