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文章を書きながら思うこと

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文章を書く中で湧いてきた〈文章を書くこと〉にまつわる疑問や悩み、気づいたことやわからないこと、個人的なこだわりなどを、ここに集めています。
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#漢字

現行の自分ルールでいうと、「いろいろ」はひらがなに開く一方、「諸々」は漢字のままで開きません。カジュアルさの度合いを視覚的に表現したくて、この判断になっているんだと思います。「諸々」も「もろもろ」と表記するべきか、一瞬迷いが生じたので、ちょっと立ち止まって考えてみました。

「下りる」と「降りる」、「上る」と「登る」と「昇る」の使い分けって難しいですね。「降りる」は乗り物からおりるイメージでしょうか。単純に「登る/昇る」の反対が「降りる」というわけではないようです。「登山」というけど、「降山」ではなく「下山」ですよね。出てくるたびに迷ってしまいます。

漢数字と算用数字、どちらを使っていいのか悩むことが多々あります。「一度だけ行ったことがある」の「一度」は回数に特別な意味があるので漢数字に。単に数をカウントしているだけなら「徒歩3分」のように算用数字ですが、〈数に込められた意味〉なんてあると思えばあるし、ないと思えばないし…。

一人称を「僕」にするか「ぼく」にするかで、ずいぶんと文章の印象が変わります。「私」と「わたし」、「俺」と「おれ」も悩みどころです。「ボク」「ワタシ」「オレ」というふうにすると、かなりクセの強い語り手になります。ひらがなのほうがフラットな印象を受けますが、少し幼くも感じられます。

「ひとつ」「ふたつ」まではひらがなにしたいですが、「三つ」以降は漢字がいいです。「ひとり」「ふたり」と来たら「三人」がいい……と、ここで出た「来たら」は特に悩みます。具体的になにかがやって来るわけではないから「きたら」のほうがいいんじゃないか、とか。「〜のほう」はひらがながいい。

「いう」や「くる」は難しいですね。誰かが発言するときには「言う」ですが、「〜ということ」はひらがなでないと気持ち悪い。しかし、それが曖昧なことも…。「こちらを見て来る」と「こちらを見てくる」は別の行動です。前者は「見た」あとに「来る」、後者は「目を向ける」というひとつの動作です。

「嫌」「いや」「イヤ」には、それぞれ違うニュアンスがあります。「喧嘩」と「けんか」と「ケンカ」は別のものだと思うのです。状況によって使い分ければいい話ではあるのですが、読み返すたびに統一したくなったり、バラバラにしたくなったり…。「バラバラ」と「ばらばら」も悩ましいところです。

文章を書くとき、漢字をどこまでひらがなに開くか、ものすごく悩みます。僕は「時」と「〜するとき」を書き分けます。「なに」「こと」「もの」「まったく」「ほんとう」「いま」などはひらがなと決めていますが、たとえば「書き分ける」と「書きわける」、こういう言葉はいつも決めかねています。