マガジンのカバー画像

文章を書きながら思うこと

26
文章を書く中で湧いてきた〈文章を書くこと〉にまつわる疑問や悩み、気づいたことやわからないこと、個人的なこだわりなどを、ここに集めています。
運営しているクリエイター

2019年7月の記事一覧

「人生って意外とシンプルなんだ」と「なにもかも混沌の中…」を行き来する、その往復の一部を切り取った〈ゆらぎの断片〉を僕は書こうとしているんだと思います。連帯できず無力で、ポピュラリティも得られないかもしれない。しかし、そういう愚図なりの創作を、いまはひとまずつづけていきます。

〈わたしという誰かの演劇〉も、ほんとうは改行したいんですよね。そのほうが読みやすいし、流れも伝わりやすいのはわかっているんですが、いかんせんブラウザはサイズが可変、それぞれの環境によって半端な折り返しができてしまうのがどうしても気持ち悪く思えて、無改行のスタイルをつづけています。

映画や美術展を見に行ったあとの気持ちを、感想や批評やレポートとは違うかたちで表現したいとずっと思っていました。ある作品を前にしたとき、作品と自分とのあいだに生まれた関係それ自体を言葉に置き換えたい。〈わたしという誰かの演劇〉には、そうした試みも徐々に含まれてきたように思います。

再開についての、短いイントロ

再開についての、短いイントロ

最後に自分たちで劇場公演をしたのが、2013年。そのときの反省がたくさんあって、いまどうにかイラストレーターの仕事ができています。

あれから6年経ち、演劇とも、文章を書くこととも、ずいぶん距離ができてしまいました。過去の活動でまわりのひとたちを追いつめてしまったことから、自分にはその資格がないのだと、再開することには大きなためらいがありました。

ですが、またはじめました。リブートです。イラスト

もっとみる

「下りる」と「降りる」、「上る」と「登る」と「昇る」の使い分けって難しいですね。「降りる」は乗り物からおりるイメージでしょうか。単純に「登る/昇る」の反対が「降りる」というわけではないようです。「登山」というけど、「降山」ではなく「下山」ですよね。出てくるたびに迷ってしまいます。

〈わたしという誰かの演劇〉を実際に俳優が演じるとしたら、どうなるだろう。

・ひとりの〈わたし〉をひとりで
・ひとりの〈わたし〉を複数で
・複数の〈わたし〉をひとりで
・複数の〈わたし〉を複数で

このいずれもを連続的に行き来しながら、ひとつの舞台を構成できたらおもしろいですね。